- 古代ローマ遺跡とイスラム文化が交差する!
「幻想の国」モロッコ
- 古代ローマ遺跡とイスラム文化が交差する!
「幻想の国」モロッコ
- 古代ローマ遺跡とイスラム文化が交差する!
「幻想の国」モロッコ
カサブランカから車で約4時間。ベルベル語で「神の国」を意味するモロッコ第3の都市。モロッコのほぼ中央に位置し、街の背後には3,000mから4,000m級の山々が連なるオート・アトラス山脈があります。フェズに次いで2番目に古い街で、大西洋、サハラ砂漠側から多くの人が集まる街でもあります。 ジャマ・エル・フナ広場を中心とした北アフリカ最大の規模を誇るメディナには、巨大なスークが広がっています。夕方から広場は活気付きはじめ、多くの屋台や大道芸人が集まり、エネルギッシュで混沌とした喧騒が広場全体を包んでいきます。旧市街(メディナ)の建物は、すべて赤土の日干しレンガで造られ、どこもかしこも赤褐色になっているのが特徴です。また、メディナの南側には史跡地区があり、マラケシュの見所は主に旧市街に集まっています。
サハラの入り口として足を踏み入れる町です。1920年フランス軍がサハラ砂漠の最前線基地として建設され、町はまだかなり広い範囲が軍用地になっています。マラケシュの司令官で豪族グラウィ家の居城だった「タウリルトのカスバ」は、いくつもある部屋は狭い階段でつながっており、外から見た印象とは違い、中の造りは非常に複雑になっています。また、映画のロケ地として注目を集めている「アトラス・コーポレーション・スタジオ」やワイザードの西33kmに日干しレンガ造りの古い要塞化された村「アイト・ベン・ハッドゥ」など人気のスポットがあります。
カサブランカから東に約4時間。モロッコ最初のイスラム王朝・イドリス朝の都になった古都。 1,000年以上前につくられた旧市街フェズ・エル・バリでは今も人々は生活をし、世界一複雑な迷路の中に商店がひしめきあっています。城壁の外の小高い丘からは、城壁の中に密集する町全体を目にすることができます。旧市街の中には、なめし革染色職人街やメディナで一番の繁華街ネジャーリン広場、宮殿を博物館にしたダール・バトハ博物館があります。坂が多く狭い道が多いため、今も輸送手段はもっぱらロバや馬を使っています。
正式名称はシェフシャウエン。城壁に囲まれたメディナは、白と水色に塗られていてメルヘンチックでかわいらしい雰囲気が漂っています。歴史的にスペイン領になった時代もあったため、スペイン語が通じることもあり、他のモロッコの町とは人も町の雰囲気も少し異なります。オンサ-門から町を出て川を渡って丘を登っていくと、シャウエンの町全体を眺めることができます。
エルフ-ドから50km離れた砂漠観光の基点の街。ほとんどのホテルは砂漠沿いにあり、ホテルの裏が砂漠といった立地にあります。砂漠の奥に入ることなく、砂丘の美しい風景を目にすることができます。砂漠には徒歩で行くことのほか、化石売りのラクダに乗って散策することもできます。
おいしい水とおいしいブドウで作ったワインが有名です。イスラム国にありながらお酒が解禁なのもこの町の特色と言えます。また、東西南北を結ぶ中継地点としても重要で、近いところでは、ローマ時代の遺跡「ヴォルビリス」や聖都「ムーレイ・イドリス」を訪ねる基地になります。このメクネスはメディナの丘と新市街の丘の二つの丘からできています。このメクネスには、北アフリカで最も美しい門のひとつ「マンスール門」があります。門はメディナ側から新市街側へ行くバス停のそばにあります。メディナ側には他に、クベット・エル・キャティン、キリスト教徒の地下牢、ムーレイ・イスマイル廟、風の道、ダル・エル・マ(水の館)、グランド・モスクなどがあります。
メクネスからグランドタクシーで45分。神秘的な雰囲気のあるムーレイ・イドリスは、聖者の町ともいわれ、ザンフォーン山にへばりつくように白い街並みが広がっています。町の中心ホルムと呼ばれる聖域には、モロッコで最も崇拝されている聖者であるムーレイ・イドリス1世の廟が、緑色のタイルの屋根を持つ美しい回廊石の建物にあります。この区域には非イスラム教徒は足を踏み入れることはできません。かつてはこの町全体が聖域として非イスラム教徒に閉ざされていました。また、ここにはモロッコ最大の珍しい異文化のローマ遺跡があります。この遺跡は「ヴォルビリス遺跡」と呼ばれ、1997年世界文化遺産に登録されました。
ムーレイ・イドリスの丘のほとりから北西1.5kmのところにあり、モロッコ最大のローマ遺跡です。紀元前2世紀の頃から人が住んでいたとされ、モータリア王国の一都市としてワリーリ(月桂樹)と呼ばれていました。モロッコの人々は、ファラオの宮殿と呼んでいました。この町は全長2,359mの城跡に囲まれ、8つの門と少なくとも40の塔が建っています。18世紀の地震で倒壊しましたが、1887年から始まった発掘は今も続いています。カラカラ亭の凱旋門、カピトリウム、公共広場、大通り、浴場、油の製造所、豪邸群などが修復済みで、床や壁に残るモザイクは当時の状態ほぼそのままに保存されています。
タンジェから南東へ60㎞、バスを使い1時間~1時間30分ほどで行ける小さな町です。ルアフ門から入るこの町のメディナは、他の町にあるものとはひと味違いモロッコ独立までスペインに支配されていたため、スペイン風の建物が多いです。このメディナには、衣類、木工、陶器、工具、アルミ製品、食料品など、数多くのスークが立ち並んでおり、近くには考古学博物館があります。リフ山脈の山々と調和した美しい町ティトゥアンの町でオススメなのが、タクシーにて20分ほど山を登ったところにある泉「ブアナンの泉」です。ここからティトゥアンの町が一望でき眺めは抜群です。特に夕日は素晴らしいです。
白い街並みが印象的です。ジブラルタル海峡を渡れば、約2時間少しでスペインの南端アルヘシラスに到着します。まさにタンジェは、モロッコへの海の玄関口です。このため20世紀前半には、ヨーロッパからさまざまな資本、人が流れこみ国際都市として繁栄してきました。町は南側に広がる新市街と、城壁に囲まれた旧市街メディナに分けられています。メディナの中にはカスバがあり、広場からは晴れていればスペイン側の山並みが見渡せます。また、カスバの中にある旧王宮は、1階がモロッコ美術館、2階が考古学博物館になっています。新市街には大砲の置かれた展望台や小ぎれいなカフェが並んでいます。夜になると港町らしく酒場ネオンがにぎやかに光っています。
北西アフリカの3国、モロッコ、アルジェリア、チュニジアを総称してマグレブと呼びます。マグレブとはアラビア語で“陽の沈むところ”の意。その西の端にあるのがモロッコです。
太古よりマグレブの地にはベルベル人が住んでいました。古くはカルタゴ、ローマ、バンダル、ビザンチンの支配を受けていましたが、それは沿岸部や都市部が中心で全国的にはさほど影響はありませんでした。ところが7世紀以降、イスラム教布教のためにやってきたアラブ人によって、言葉、町の造り、宗教すべてがアラブ化へと大きく変化していきます。その後、ベルベル人、アラブ人による各イスラム王朝が興亡を繰り返すと同時に、大西洋や地中海沿岸の港町はスペイン、ポルトガルの支配を受けることもありました。そして近代になってフランスの保護国を経て、第2次世界大戦後の1956年に現在のモロッコ王国が誕生しました。
4~5月と10~11月の2回の雨季があります。
北部(ラバト等)の平野部と西部では、夏は暑いが乾燥しており、冬は温暖湿潤でしのぎやすい気候です。
一方内陸部は砂漠気候で、山岳地帯では冬に氷点下になることもあり、アトラス山脈では積雪もあります。
水道水は避け、ミネラルウォーターを飲用したほうがいい。ペットボトルのミネラルウォーターが商店やキオスクで売られています。
トイレは、なるべくホテルのトイレを利用しましょう。観光や外出の際は、ポケット・ティッシュを必ず携帯してください。