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■インドの見どころ

ブッダガヤ(Bodh Gaya)

ブッダガヤ/大仏 ブッダガヤ/マハーボディ寺院ブッダ悟りの地であるブッダガヤは、仏教徒のみならず、深いつながりのあるヒンドゥー教徒にとっても羨望の聖地です。紀元前5世紀、ゴータマシッダールタ(ブッダ)は死・老・病を避けることができないと知り、家族、財産に恵まれていましたが29歳で出家します。 約6年間、ブッダガヤ郊外の前正覚山(ぜんしょうがくさん)にて節食、断食、腐敗する死体と寝るなど苦行を行います。しかし苦行をして生まれ変わった人のことは誰も分からない、苦行のための苦行は無意味であることに気づき、苦行をやめて、ネーランジャラー川で水浴し、スジャータという娘がすすめる粥を食べて、心身ともに回復しました。その後、49日間、一週ごとに場所を変えて、大菩提寺(マハーボディ寺院)の七か所にて瞑想を行います。
一週目は菩提樹と金剛宝座。
二週目は少し離れたアニメーシャローチャナ・ストゥーパから菩提樹を見ました。
三週目はチャンクラマ・チャイティヤと菩提樹を行き来し、歩いた後に蓮の花が咲きました。
四週目はラトナグラハ・チャイティヤ。菩提樹のすぐそばにあるピンクがかった赤土色の建物です。
五週目はアジャパラ・ニグローダ樹。樹の代わりの現在は石柱があります。
六週目はムチャリンダ池。瞑想を妨害する悪魔からコブラの王様ムチャリンダが守り、その様子がブッダとコブラのモニュメントとなっています。
七週目はラージャヤータナ樹で、人々を苦しみから救おうという誓いを立てました。悟り(BODHI)を開いてブッダ(BUDDHI)となりました。

世界遺産大菩提寺(マハーボディ寺院)
高さ52mの大塔は天高く聳えるヒンドゥー寺院や日本の五重塔を思い起させます。入場前、男女別のセキュリティーチェックを行い、靴を脱いで裸足で入場します。寺院内の本尊はもとは黒岩でできており、のちにミャンマーの仏教徒に金箔を貼られました。ブルーの壁面が黄金像をまばゆく引き立てます。金剛宝座は柵で囲まれていますが、ブッダが座った場所として菩提樹とともに重要な場所です。五体投地など各国の仏教徒が祈りを捧げます。塔の壁面には多数ブッダのレリーフが施されています。大菩提寺(マハーボディ寺院)近くには日本など各国の寺院もあり、早朝に入場可能な場合もあります。

スジャータストゥーパ
スジャータの家があったという場所に建てられたストゥーパです。ストゥーパは墓のことで、日本の墓石の後ろにある卒塔婆(そとうば)の語源です。


サルナート(Sarnath)

サルナート/ダメーク・ストゥーパ サルナート/ムールガンダ・クティ寺院 野生司香雪の絵バラナシ郊外にあるブッダが初めて説法を行った地です。出家の際に共に連れ立った5人の友、嬌陳如(きょうじんにょ)、跋提(ばっだい)、婆沙波(ばしゃば)、摩訶那魔(まかなま)、阿説示(あせつじ)が修行していた場所です。五人は五比丘(ごびく)と呼ばれ、出家の際に父が案じて伴わせた従者でした。彼らに考えを聞いてもらうことが一番良いと判断し、ブッダガヤからおよそ200キロ離れた鹿野苑 (=サールナート)へ歩いて向かい、初めて説法しました。
この世の苦しみの原因は無知。苦しみをなくすためには真実を知るべきこと、真実を知るために八つの行いをするべきと説きました。 苦、集、滅、道の四諦と正見、正思、正語、正行、正命(正しい生活)、正精進(正しい努力)、正念(正しい注意)、正定(正しい坐禅)の八正道を説きました。

ムールガンダ・クティ寺院
野生司香雪によるブッダの生涯を描いた壁画があります。細かい描写と全体的に明るく、ブッダの肌色と壁画天井が落ち着いたサーモンピンクなので大変温かみがあります。 人の指を切るという悪行で知られたアングリマーラの周りに押された手形の絵は、ブッダと対照的に黒褐色で描写されています。

考古学博物館
石柱上部の柱頭四頭獅子像や初転法輪像など、インド美術の傑作が見られます。柱頭四頭獅子像は、四方向を向いた獅子、象、牛、馬の聖獣が彫られています。 獅子の胸の毛は細かく彫刻され、迫力もあります。初転法輪像は、保存状態がよく柔らかい曲線美と柔和な表情は必見です。
考古学博物館は金曜休館です。


ラージギル/王舎城(Rajgir)

ラージギル(王舎城)/竹林精舎 ブッダが修行し、また晩年に説法した地・ラージギルは、 五つの山の自然な要塞に囲まれています。小さな町であるが、人、牛が闊歩し、リクシャ、バスの往来で活気あふれています。

戦車の轍
紀元前5世紀頃繁栄したビンビサーラ王のマガダ国において製鉄業が盛んであったことをうかがえます。
ジーヴァカのマンゴー樹林跡(病院跡)
売春婦の子として捨て子であったジーヴァカは、ビンビサーラ王に才能を認められ養われます。のちにここへ医療施設を建立し、どの人にも平等に診察する優秀な医師となりました。 バイシャリの地で有名であった遊女アンバーパーリーのように、ラージギルでもサーラヴァティーという女性の歌舞音曲が有名でした。ジーヴァカはこの遊女に捨てられてしまいますが、王子に拾われた際にその赤子は「生きています」を意味するジーヴァティ(JIVATI)と確認されたことからジーヴァカ(JIVAKA)と名付けられたという説があります。
霊鷲山
山頂まで約1kmの緩やかな参道が続きますが、30分ほどかけてブッダの気持ちを考えながら登ると清々しいです。 山頂は祭壇となっていて中央にブッダ像が安置されています。山頂近くの二つの洞穴では、弟子のアーナンダが瞑想していました。
竹林精舎
ビンビサーラ王が寄進したラージギルに初めて建立された仏教寺院です。竹林は多く残っていませんが、静寂に満ちています。 ビンビサーラ王は子に恵まれずに相談すると、数年内に仙人が息を引き取ったのちに恵まれると占われました。 息を引き取る気配のない仙人に刺客を送ったことから将来生まれた我が子に殺害されるという悲劇が始まります。 ビンビサーラ王が子に幽閉された牢獄跡は、石塁が残っています。


サヘート/祇園精舎(Saheth)

サヘート/祇園精舎貧しいものに施しをしていた富豪スダッタ(給孤独)が、 ブッダの為に地主であるジュータ太子(祇多)の望みを叶えました。この地は両名の名を冠して祇園精舎(祇樹給孤独園精舎)と名付けられました。 ブッダは夏の間にサヘートで過ごすことが多く、ある程度の期間、多人数で一か所の場所で修行することによって、人が移動する際に小動物を踏む殺生を避ける目的もあったといわれています。 温泉精舎もありますが、観光客用ではありません。洗濯をする人もいます。


マヘート/舎衛城(Maheth)

マヘート/舎衛城 人の指を切るという悪行を行っていたアングリマーラが ブッダに帰依した場所です。アングリマーラはもともとは熱心な修行者でしたが、師であるバラモンの家族の誘惑を断ったことが、悪行を行う原因となりました。 ブッダに会い、悪行の批判に耐えた後、悟りを開くことができました。アングリマーラのストゥーパであるパッキ・クティがあります。




ナーランダ(Nalanda)

ナーランダ/玄奘三蔵も学んだ大学跡仏教大学都市ナーランダは、ブッダ十大弟子の一人・ 舎利弗(サーリープッタ=しゃりほつ)の故郷でもあります。舎利弗はお釈迦様の一番弟子といわれており、ブッダより早く、病気の為、故郷のこの地で亡くなりました。 紀元後5世紀に仏教大学が創建されてから12世紀頃までナーランダは仏教学の中心地でした。7世紀に玄奘が学んだ頃には、学生10,000人、教師3,000人がいて、入学は大変厳しかったと言われています。ムガル帝国の弾圧で、図書館に火がつけられ6ヶ月間燃え続けましたが、原型をとどめている遺跡が多く見ごたえがあります。

ブッダ十大弟子
1)舎利弗(サーリープッタ=しゃりほつ)
教えをよく理解した事から、智慧第一と称せられました。般若心経の中でブッダ説法の相手として頻繁に登場します。
2)目連(モクレン)
神通第一、超能力がありました。体格が良く、ブッダの護衛も務めました。
3)摩訶迦葉(まかかしょう)
清廉潔白な性格で、ブッダの死後は指導的役割を行いました。拾ったぼろきれを洗い衣としたり、一日一食の食事など、衣食住に執着する心を持たない修行を行いました。 結婚していましたが夫婦で出家しました。
4)阿那律(あなりつ)
説法中、居眠りをし叱責された以後、決して眠らないよう不眠・不臥の修行を行いました。視力を失ってしまいますが、そのことで何でも見通す天眼通という力を得ました。
5)須菩提(しゅぼだい)
解空第一、物事に執着しない円満な性格でした。ブッダに祇園精舎を寄進したスダッダ王の甥といわれています。
6)富楼那(ふるな)
説法第一、ブッダが悟りを開いて初めての説法したあとの最初の弟子で、十大弟子の中で一番早く弟子となりました。 バラモン教も理解し、60種類の言語を操りました。ブッダと誕生日が同じです。
7)迦旃延(かせんねん)
幼少時から聡明で、記憶力にも優れました。ブッダの教えを良く理解していたといわれます。難解な文を解明できなかったことがきっかけでブッダに教えを請い弟子となりました。
8)優波離(うばり)
持律第一、戒律に精通し、ブッダ亡き後は、戒律部門の編集の中心人物として活躍しました。 理髪師であった優波離は、ブッダの髪を剃る機会がありその後、 弟子となりました。
9)羅喉羅(らごら、ラーフラ)
ブッダの29歳の時に生まれた実子なので、特別な目で見られることが多く必然的に戒律を厳守するようになりました。
10)阿難陀(アーナンダ=歓喜という意味)
多聞第一、ブッダと長く共に過ごし多くの説法を聞きました。ブッダ亡きあと教えの結集を編纂する際、阿難陀の記憶が絶大な力を発揮しました。 人柄の良さから多くの人にも支持され、秘書のように働きました。阿那律と同様ブッダのいとこ。ブッダより30才ほど若く、美男子で、優しく、特に女性に親切であったと言われ、 尼僧が誕生したきっかけをつくりました。


バイシャリ(Vaishali)

バイシャリ/ストゥーパとアショカ王の石柱入滅の三か月前に死を予告し最期に旅立った地です。ブッダの死後、紀元前三世紀頃にインドを統一したアショーカ王が建造したアショーカ王の石柱にはライオン像が載せられています。バイシャリで有名であった遊女アンバーパーリーはのちにブッダの弟子となります。クシーナガルで入滅したブッダの遺骨は、慕う八つの部族に分配され、各地でストゥーパ(舎利塔)が建造されました(八分起塔)。バイシャリにはそのうちの一つ、レリックストゥーパがあります。


サンカーシャ(Sankasia)

サンカーシャ/ブッダの母マーヤー夫人は高齢であった為、出産後すぐに亡くなりました。その母に説法するために昇天し戻った場所がサンカーシャと言われています。






クシーナガル(Kushinagar)

クシナガール/大涅槃堂クシーナガルは、ブッダ入滅の地です。ブッダ最後の言葉は、「もろもろの現象は移りゆく、無常である。怠らず務め修行を完成せよ」でした。仏教は無常を見つめるというキリスト教のメメント・モリの教えなどにも影響を与えています。最後の旅の途中に供養された食べ物による食中毒が死因と言われていますが、恨むことなく、その供養された事も尊い行いであると述べました。ブッダは二本の沙羅双樹の間に頭を置きました。弟子の阿難陀と阿那律が涅槃に入るのを見届けます。ブッダの火葬後、ほとんどの弟子は王舎城(ラージギル)へ向かいましたが、阿難陀のみ祇園精舎へ行き、ブッダの部屋を掃除をしてから王舎城(ラージギル)へ向かいました。涅槃堂では、右脇を下にし右手で右側の頭の下をささえ横たわる頭北面西という体勢の涅槃仏が安置されています。白い円筒を横たえたような涅槃堂は、 東京築地本願寺の本堂にも似ています。ラーマーバールストゥーパは、シンプルなドーム型。ブッダが荼毘にふされた場所に建造されました。


ルンビニ(Lumbini)

ルンビニ/マーヤ聖堂ブッダ生誕の地ルンビニは、ネパールにありますが、 ブッダ入滅の地であるインドのクシーナガルから陸路にて国境を越えて訪問することができます。ブッダは、約2600年前にシャカ族である父浄飯王(じょうばんのう)と、母マーヤー夫人の間に 生まれます。父・浄飯王の三人の兄弟の名前には全員、「飯」という字が付いておりシャカ族が暮らすこの付近では稲作、白米が貴重であったことが分かります。 マーヤー夫人は、出産の里帰りの途中ネパールのルンビニの花園にて、脇の下からブッダが現れ、紀元前400年頃の4月8日に誕生しました。ブッダは誕生して間もなく歩き始め、その歩みのあと には蓮の花が一輪ずつ咲いたと言われています。

マーヤー聖堂
ブッダが生誕した場所が示されています。産湯に使われたといわれるプスカリニ池もあります。マーヤー聖堂を中心に建築家の丹下健三氏監修により ルンビニ聖地公園が整備され、15ヵ国、22の寺院・ 瞑想院が建造されました。白い建物の日本寺やタイ寺は人気があります。


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■インドの基本情報

■インドってどんなとこ?

国土面積約328万km²は世界第7位、人口13億人は世界第2位です。紀元前2世紀のインダス文明を起源として、グプタ朝などのマガダ国やムガル帝国など、インドを統一した多くの帝国が存在しました。
16世紀以降はヨーロッパの植民地化がすすみ、約200年間イギリス植民地支配下にありましたが、マハトマ・ガンジーの非暴力独立運動などを経て、1947年インドと東西パキスタンに分かれて独立します。東パキスタンはのちに、バングラデシュへと独立します。1990年代頃には経済危機に直面しますが、経済自由化体制への転換などによって、1996年頃には急速な経済成長をとげます。
インド北部には、ヒマラヤ大山脈が2,000kmに渡り連なっており8,000mの山が多くあります。インド北部とパキスタンの国境付近は砂漠気候なので、タール大砂漠が広がります。インド北東部のヒマラヤ山麓は、昼夜の気温差が大きくモンスーンの影響もあり降水量も多いため、紅茶栽培に適しています。ダージリンなどは代表的な産地です。北部では小麦栽培も盛んで、カレーのおともチャパティなどが主食です。南部は熱帯地域に属し、米の産地です。乾季と雨季の降水量の差に適した品種、インディカ米が主です。稲作が盛んなため、バナナの葉に盛り付ける米が主食です。

■宗教について

インドの80%近くの人が信仰するのが、ヒンドゥー教です。 ヒンドゥー教では、神聖とされる牛は基本的には食用にすることはありません。インド特有のカースト制は、生まれながらにして決まった身分を持ち、ジャーティーという同じ職業の集団に属すヒンドゥー教徒の考えが基本となっています。
カースト制の身分制度ヴァルナは、一番上からバラモン(司祭者)、クシャトリヤ(王族)、ヴァイシャ(庶民)、シュードラ(隷民)、その下の身分もあります。ヒンドゥー教徒はいずれかのヴァルナに入り、さらに2,000種以上ある職業を同じくするジャーティーという社会集団に属しています。カースト制は、ヴァルナとジャーティを組み合わせた身分制度で、現在、憲法では否定されていますが、多くの人の心や慣習にはまだ根付いています。

■映画について

映画は文化や慣習を知るおすすめの一つの方法です。エンターテインメント性のある「バーフバリ」は日本で2019年に公開され、劇場での応援参加型の鑑賞スタイル が人気となりました。伝説の英雄・バーフバリの息子が、家臣の裏切りにより殺された父の仇をとるために、王位をかけた壮大な戦いを繰り広げます。 インド中部テランガーナ州で話されるテルグ語という言葉で編集されたことも注目されています。16世紀南インドで繁栄したヴィジャヤナガル王朝の クリシュナデーヴァラーヤ王は、文学、音楽、舞踊など文化芸術の発展に注力しました。自身も詩人で「あらゆる言語の中でテルグ語の響きが 最も美しい」と述べています。 インドには29の州があり、州の境は、主要言語の境を意味します。州が変われば言葉も変わる、服や食などの文化も変わります。多くの人に話されているヒンディー語は、インドの公用語とされていますが、それでも人口の約40%ほどです。 また、世界で活躍するミーラー・ナーイル監督は、インドをはじめ、生活拠点である米国も背景とした作品を製作しています。
女性初の飛行機での大西洋横断に成功した米国人飛行士アメリア・イヤハートの成功と苦悩を描いた「アメリア」、ジュンパ・ラヒリ原作の「その名にちなんで」は インドから米国へ移民した家族ドラマです。「その名にちなんで」にも出演した俳優イルファン・カーンは「スラムドッグミリオネア」でアカデミー賞を受賞しました。 インド弁当配達システムを題材とした「めぐり逢わせのお弁当」などにも出演し、インド国内でも人気の俳優でしたが、先ごろ53歳の若さで逝去しました。

■ヨガについて

ヨガの発祥地の一つはインドです。北部のリシュケシュでは、1968年にビートルズが修行を行いました。 ヨガ人口は、今では世界で3億人と言われています。2014年9月に、モディ首相が国連総会にて6月21日を国際ヨガデーに提唱しました。「ヨガは古代インドの伝統からのかけがえのない贈り物です。ヨガとは単なる運動ではなくストレスをとりのぞいて、心身の調和と健康を育む有効な方法です。」と演説しました。 6月21日は夏至でもあり、日が長くエネルギーにあふれた日であることも国際ヨガデーに制定された理由の一つです。

■気候と服装について

【北部】は、4~6月が最も暑く、デリーなどは40度くらい、砂漠地域では50度くらいとなる日もあります。 日よけ対策として、帽子着用、日傘の利用、また水分補給が欠かせません。ホテルや車内は、冷房により冷えることがありますので、上着や首に巻くスカーフもご準備下さい。タージマハルは、半ズボンや膝上のスカートでは入場することができません。どの場所でも、暑くても肌の露出は避けるよう注意が必要です。 7~9月初旬は雨季にあたりますので、レインコートなどの雨具が必須です。1日中降り続くことはありませんが、一定の時間にまとまって降ります。足元が汚れやすい為、 替えの靴やサンダルもあると便利です。ガンジス河も7~8月に増水し、水位が上がります。12~2月の朝と夕方以降は冷え、最高気温は25度前後ですが 最低気温は6度前後のため、冬服の準備も必要です。
【南部】は、年間を通して高温の為、半袖シャツが最適です。4月下旬~5月が一番暑い時期ですが、平均気温は30度前半です。北部のように酷暑になったり、湿気は多くないので過ごしやすい気候です。6月〜9月の雨季に入ると、降雨の日が続きます。ビーチ等の観光地に関しても、4月〜9月まではシーズンオフの為、観光は、10月〜3月頃が人気です。

■チップについて

チップの習慣のある外国人が旅行するようになり、チップをお渡しいただくことが一般的となっています。 ツアーでご参加いただくお客様へ基本的にお渡しいただくものとしてお願いしております。
相場についてはお問い合わせ下さい。ご出発前にもご案内いたします。

■両替について

インドルピーは海外への持ち出しが禁止されている為、日本で両替することはできません。現地空港到着後に、日本円やUSドルからインドルピーへ両替してください。初日の空港で両替する目安としては1~2万円前後ですが、ご旅行期間や飲み物の量などにより変わってきます。両替所で額の大きい紙幣を受領した場合は、初日のホテルなどで飲み物を購入するなどしてくずすことをおすすめします。

■飲料水について

衛生上からミネラルウォーターを購入してください。日本の水は一般的に軟水、インドは硬水です。 ペットボトルは、開栓の際にゆるんでいることもありますので、きちんと密閉されていたか確認するようにしましょう。 主なブランドは、Bisleri,Kinley、AQUAFINA、KINGFISHERなどです。
宿泊施設、レストラン、カフェなどで購入可能です。

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インド共和国
Republic of India

インドの国旗
政体:連邦共和制
言語:公用語(ヒンディー語)、補助公用語(英語)
住民:インド・アーリヤ族、ドラビダ族、モンゴロイド族など
宗教:ヒンドゥー教徒(80.5%)、イスラム教徒(13.4%)、キリスト教徒(2.3%)、シク教徒(1.9%)、仏教徒(0.8%)、ジャイナ教徒(0.4%)、その他(0.7%)
面積:330万Km2(世界第7位)
人口:約135,140万人
通貨:インド・ルピー
時差:マイナス-3時間30分
インドツアー