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■ペルーの見どころ

アンデス文明について

北部ペルー遺跡地図インカ帝国滅亡前のペルーを中心とする南米大陸の文明を「アンデス文明」と呼んでいます。旧世界の四大文明とは違い、文字が記された石碑や文献が残っていないため、正確な年代解明は難しく、遺跡残留物から推定する方法(放射性炭素年代測定)や先住民たちの口頭伝承をもとに、推測・検証されています。アンデス文明の発祥は、旧世界のような大河流域ではなく、アンデスの険しい山間部(または高原地帯)や乾燥した海岸の砂漠地帯などで同時多発的に誕生したと考えられています。また、山間部や砂漠地帯では、渓流や雨水、地下水などを水源として大規模な用水路を築くなど、高度な土木技術を有していたこともわかっています(クンベマヨ遺跡やカンターヨの送水路)。そして最大の特徴が「はじめに神殿ありき」で、神殿の建設(または神殿の更新)が社会統合の核となり、祭祀を通じて社会を動かし、農業の発展や土器づくりを刺激したこともわかってきました。
近年発掘された紀元前3000年紀の遺跡(カラル遺跡やシクラス遺跡)からは、石造建築の神殿や「シクラ」と呼ばれる小石を詰めた植物性のネットが基壇下から発見され、すでにこの時代には耐震構造を併せ持った高度な建造技術を有していたことを示しています。また、紀元前1000年紀のチャビンデワンタルは形成期のチャビン文化の集大成といわれていますが、近年の発掘調査ですでにチャビン文化に先んじた共同社会が周辺各地に存在していたこともわかってきました(コトシュ遺跡やクントゥルワシ遺跡)。そうしたチャビン文化以前の共同社会との文化的交流がチャビンデワンタルを核にしてアンデス文明の形成期を形作ってきたといわれています。
チャビン文化の衰退後には、北部海岸および南部海岸の各地域には強大な地方文化が登場します(地方発展期)。その中心は北部のモチェ文化と南部のナスカ文化です。その繁栄はおよそ紀元前後から700年頃まで続き、建造された神殿は形成期の頃の「石造り」ではなく、日干し煉瓦を積み上げた「アドベ造り」に変わっています。ちなみに石造りは高地山間部、アドベ造りは低地海岸部との安易な識別には問題があり、石造りの神殿が低地海岸部でも複数発見されています(カラル遺跡やセロセチン遺跡)。北部の海岸地域では、王を中心とする国家社会が誕生し、王墓の副葬品にはたくさんの金細工が一緒に埋葬されるようになりました(シパン遺跡)。一方南部の海岸地域では、全国から集まれるような大規模な宗教儀礼のための祭祀センター、いわゆる「聖地巡礼の地」が誕生しました(パチャカマック遺跡やカワチ遺跡)。形成期に栄えたパラカス文化を継承したナスカ文化では、焼成前着色の技法を使った彩色土器類のほか、天空の神を崇めた巨大な地上絵、いわゆる「ナスカの地上絵」も数多く制作されました。およそ600年にわたって発展した地方文化はやがて衰退し、それを統合するような国家の形成が起こりました。それがワリ文化(帝国)です。アンデス中南部のアヤクチョを中心に、チャビン文化以来のアンデス地域の普遍的文化の形成が行われました(650年~1000年頃)。ワリ文化衰退後は、またも地方文化が勃興し、北部海岸ではシカン文化やチムー文化、中部海岸ではチャンカイ文化、南部海岸ではイカ文化やチンチャ文化が栄えました(地方王国期)。シカン文化はモチェ文化と同様に金の冶金技術に長け、シカン遺跡のロロ神殿そばの王墓からは大量の黄金細工の副葬品が発見されました。一説には太平洋から渡来した異国人が建てた王国だったとの伝説もあります(ナイランプ伝説)。やがて1000年頃にはシカン文化はチムー文化(王国)に吸収され、チムー王国はリマ以北の約1000kmにおよぶ北部海岸地域を統一しました。首都はモチェ文化が栄えたトルヒーヨ近郊のチャンチャンで、土で造られたアメリカ大陸最大の古代都市として知られ、1400年頃に勢力を上げてきたインカ帝国に1475年に滅ぼされるまでおよそ600年間繁栄しました。


リマ(Lima)

カテドラル(リマ)国立考古学人類学博物館歴史的建造物が集中している旧市街(セントロ)の主な見所は、アルマス広場とカテドラル(征服者ピサロ自らが建造)、サントドミンゴ教会・修道院(過去の地震に耐え保存状態がいい)、サンフランシスコ教会・修道院(修道院中庭の回廊に残された美しいセビリアンタイルが有名)、ラ・メルセー教会(ペルー軍の守り神・聖女マルセーを祭る)などがあります。一方、ショッピングモールやおしゃれな繁華街でにぎわう新市街にも魅力的なところはあります。たとえば、ミラフローレス地区の街中にあるリマ文化時代の遺跡「ワカプクヤーナ」(プレ・インカ)では、レストラン・ワカプクヤーナが隣接しペルーの伝統料理を食べながら遺跡が見られます。
博物館関連では、ミラフローレス地区にあるチャンカイ文化(紀元1000年~1400年に興隆)の土器や織物が有名な「天野織物博物館」、プエブロ・リブレ地区にあるペルー最大規模で各時代ごとの展示部屋をもつ「国立考古学人類学歴史学博物館」やモチェ文化(紀元前後~700年に興隆)のユニークな土器で有名な「ラファエル・ラルコ・エレーラ博物館」などがおすすめです。他にモンテリコ地区の「黄金博物館」もあります。


パチャカマック遺跡(Pachacamac)

パチャカマック遺跡パチャカマック遺跡はリマから南東約40kmに位置するリマ近郊の最大の遺跡です。「創造神パチャカマック」にちなんで命名された巨大な宗教都市遺跡で、紀元200年頃から様々な文化をもつ人々が住みつき、モチェ文化時代からインカ帝国時代まで(紀元200年~1500年頃まで)、およそ1300年の長きにわたって繁栄し、ペルー最大の巡礼地(聖地)として重要な役割を果たしたとされています。遺跡の面積はおよそ6㎢あり、「彩られた神殿」と呼ばれる階段状ピラミッドのパチャカマック神殿や太陽の神殿のほか、合計17のピラミッド(神殿)が確認されています。その他に、神官や貴族の屋敷跡、巡礼者の待合所跡、ルリン川の水を引き入れた水路なども発見されており、当時の繁栄ぶりをうかがわせます。


クスコ(Cusco)

クスコクスコインカ帝国の首都だったクスコはペルー観光のまさに「ヘソ」。主な観光地は旧市街と郊外に分かれます。旧市街には、アルマス広場とカテドラル(ビラコチャ神殿跡)、ラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会(インカ皇帝宮殿跡)、サントドミンゴ教会(コリカンチャ=太陽の神殿跡)、インカの石組みで有名なアトゥンルミヨク通り(12角の石)やロレト通りなどがあります。
特にサントドミンゴ教会は必見です。もとはインカ時代の太陽の神殿が土台となり、スペイン人が征服後に教会に作り変えた建物です。建物内部に残された見事な石組みは高い耐震技術が施され、その技術は現代技術を凌ぐともいわれています。
一方郊外には、インカ時代の堅固な要塞跡のサクサイワマン、祭礼場跡のケンコー、小さな要塞跡のプカプカラ、沐浴場跡のタンボマチャイなどがあります。特に巨石を精緻な加工と高度な技巧で作り上げたサクサイワマンの遺跡は圧巻で、3層の巨石が22回のジグザグを描きながら360mにわたって続きます。中には高さ5m、重さ360トンもある巨石が使われているところもあり、現代の建築技術にも劣りません。毎年6月下旬にインティ・ライミ(太陽の祭り)がここで行われています。


サイウィテ遺跡(Saywite)

サイウィテ遺跡サイウィテ遺跡はクスコの南西約180kmに位置するインカ時代の遺跡と言われています(アバンカイの町から東約45km)。この遺跡の目玉は、サイウィテの石です。長さ4m、高さ2mを超える卵型の巨大な一枚岩で、上部半分に建造物のミニチュア(神殿や階段など)と動物や人間などの生き物が渾然一体となって精巧に彫刻された不思議な石造物です。一説にはインカ帝国(タワンティンスーユ)の世界観を現したものといわれています。岩全体に水路が彫り込まれ頂上部のくぼみに水を入れると水路を伝って岩全体に水が流れる仕組みになっています。クスコ近郊にある祭祀場跡とされるケンコー遺跡の巨大な一枚岩と構造が似ているため、祭祀・儀礼に使われた可能性も指摘されています。


マチュピチュ遺跡(Machu Picchu)

マチュピチュ遺跡 ワイナピチュ登山の様子 ワイナピチュ登山の様子 ワイナピチュ登山の様子 ペルー観光のハイライト・天空都市マチュピチュは、クスコから列車で終点のアグアスカリエンテス駅まで約3時間半、そこからシャトルバスに乗ること約30分、ようやく頂上の遺跡入り口に到着します。遺跡内部には段々畑、17の水汲み場、陵墓(ミイラの安置所)、太陽の神殿、王女の宮殿、3つの窓の神殿、インティワタナ(日時計)、コンドルの神殿と牢獄などがあります。マチュピチュ遺跡の背後にはワイナピチュ(若い峰)がそびえ、登頂が可能です。頂上からの眺めはまさに絶景でとても人気がありますので、登山希望の場合は早めに入場券を購入してください。
また、現在はマチュピチュ遺跡は遺跡保護の観点から入場人数を制限しているほか、遺跡内の観光ルートや滞在時間等も厳格に定められています(逆行不可)。そのため、効率よく観光する場合はルートを熟知したガイド同行をお勧めします。
マチュピチュは1911年にアメリカの探検家ハイラム・ビンガムがこの遺跡を発見したことで有名ですが、戦前に日本人の野内与吉(ノウチ・ヨキチ)氏がペルーに移民しマチュピチュ村の発展に多いに貢献し、初代村長として尽力したことが今のマチュピチュ観光の礎となったことも知っておきたいものです。


インカの聖なる谷(Sacred Valley)

聖なる谷 5000m級の山々に囲まれたインカの聖なる谷には、クスコをはじめとするインカ帝国の中枢をなした遺跡や村々が数多く残されています。ミニマチュピチュと野菜市が有名な「ピサック」、謎の巨石建造物が残る「オリャンタイタンボ」、プレインカ時代から続く天然塩田がある「マラス」、円形競技場を思わせる巨大で不思議な実験農場跡がある「モライ」、白壁の教会と田園風景が美しい「チンチェーロ」など、聖なるインカの遺跡とともに今も昔ながらの生活を守り続けるアンデスの村々があります。

ピサック遺跡 ●ピサック(Pisaq)
ピサックはクスコの北約30kmに位置する小さな村です。ピサック遺跡は村を見下ろす山の頂きにあります。わずかな山頂の平地や斜面を効率よく利用して、段々畑、見張り台、太陽の神殿などが造られています。別名「ミニ・マチュピチュ」ともいわれ、見た目の造りがまさにマチュピチュ遺跡のミニ版です。頂上からは、ウルバンバ川が流れる聖なる谷の景観が俯瞰でき、絶好の撮影ポイントです。ふもとのピサック村では野菜市が火木日に開かれています。

オリャンタイタンボ遺跡 ●オリャンタイタンボ(Ollantaytambo)
クスコの北西約70km、聖なる谷の西の端にオリャンタイタンボ遺跡はあります。斜度45度はありそうな斜面に段々畑が作られ、畑の脇の階段300段を登ると広場があります。広場の周辺には美しいインカの石組みが続き、6個の巨石を並べた不思議な建造物が残っています(通称、六枚屏風岩)。この巨石は対岸の山中の石切り場からはるばる運ばれてきたと言われていますが、車輪や滑車の道具をもたない当時の人力でどうやって丘の頂きまで運び上げたのかは今も謎です。

マラス塩田 ●マラス塩田(Salinas de Maras)
クスコの北西約60kmにあるマラスの村から車で15分ほど進むと、山間に美しい棚田の光景が現れます。これがプレインカ時代から続く傾斜面を利用した天日干しで塩を作る「白い塩田」のマラス塩田です。ミネラル豊富な天然の塩は、歴代のインカ皇帝ご用達の塩として今日まで大切にされてきました。現在、塩田保護のため、遠景観賞のみとなり塩田の中を歩くことはできなくなりました。

モライ遺跡 ●モライ(Moray)
マラスの村から未舗装道路を7kmほど進んだところにあります。 インカ時代の農業試験場跡ともいわれる巨大な同心円状構造の段々畑で、直径・高低差とも最大100m以上もあり、大小4つの遺跡が確認されています。最深部の中央には不思議な力がみなぎるパワースポットとしても有名で、この遺跡が造られた本当の目的は今も解明されておらず謎のままです。

チンチェーロ ●チンチェーロ(Chinchero)
クスコの北西約30kmに位置するアンデス高地(標高3800m)の閑静な村です。インカ時代の堅牢な石組みの上に建つ白壁の教会や同時代の建造物のなごりが残るインディヘナ(原住民)の村で、スペインの田舎村のような風情があり、日曜日には教会前の広場で市なども開かれます。アルパカやヒツジの毛織物が有名で「機織り」の実演見学もできます。


ナスカ地上絵(Nazca Lines)

ハチドリの地上絵ナスカの地上絵には、ハチドリ、クモ、コンドル、サル、宇宙飛行士などの他、滑走路のような形をした幾何学模様もたくさんあり、その絵は平地だけでなく、丘陵までをキャンパスにして縦横無尽に描かれています。地上絵遊覧飛行の拠点(発着地)は、イカ、ピスコ、ナスカの3か所あります。イカ発着の場合、空港はワカチナオアシスのそばにあり、午前中の遊覧飛行であれば午後に砂丘観光(サンドバギーなど)も可能です。ピスコ発着の場合、空港は海岸沿いのリゾート地パラカスのそばにあり、他と比べて飛行時間は一番長くパルパ地上絵の上空も飛びます。リマから距離的に最も遠いナスカ発着の場合、時間の合間にナスカ郊外にある地上絵の研究家故マリア・ライヘ女史が建造した観察やぐら(ミラドール)や博物館などを見学することも可能です。

イカ考古学博物館 ●イカ考古学博物館(Museo Regional de Ica)
イカ考古学博物館はインカ帝国が誕生する遥か昔に栄えたプレインカ時代(パラカス文化、ナスカ文化、ワリ文化など)のユニークな土器や織物のほか、人間のミイラや不思議な頭蓋骨が数多く展示されている博物館としても有名です。特に脳外科手術を施したと思われる頭部に大きな穴の開いた頭蓋骨や頭蓋変形を施した細長い頭蓋骨が展示されています。脳に損傷を与えずに細長く伸ばしていく頭蓋変形の技術は当時の医療水準の高さを物語る貴重な証拠でもあるので必見の価値はあります。


チチカカ湖(Lake Titicaca)

チチカカ湖チチカカ湖はエンジンが付いた船が航行する世界最高所にある湖(海抜3890m)で、面積は琵琶湖の約12倍(8300k㎡)、最大水深は約280mあります。その昔、インカの初代皇帝マンコ・カパックがこのチチカカ湖の水中から出現したとされる伝説があり、現代においても神秘的な湖であります。ペルーとボリビアの両国にまたがり(6:4の比率)、聖なる湖と崇められてきた湖畔には、ティワナク遺跡(ボリビア)やシユスタニ遺跡(ペルー)などプレ・インカ時代の古代遺跡が残っています。また湖には葦を積み重ねて作った人口の島「浮き島(トトラ)」が約40ほどあり、ウル族(現在、純血のウル族はいなくケチュア族やアイマラ族の混血が中心)などが生活しています。観光拠点のプーノからモーターボートで約40分のところにウロス島、約3時間のところにタキーレ島(ケチュア族の島)、約4時間のところにアマンタニ島があります。


カラル遺跡(Caral)

カラル遺跡カラル遺跡はリマの北約200㎞に位置し、今から約5000年以上も前の紀元前3000年~2500年前ごろに栄えたと言われています。紀元前2500年頃と言えば、世界4大文明(エジプト、メソポタミア、インダス、黄河)とほぼ同時期で、アメリカ大陸最古の都市遺跡として注目されています。敷地内には巨石を使った神殿やピラミッドなど32の建築物が立ち並び、人々が住んだ住居と思われる遺跡も多数発見されています。都市の収容人口は推定約3000人、スーペ谷周辺の神殿群を含めると2万人に上るといわています。遺跡東南に位置している祭礼の中心地とされる円形半地下広場からは32本の骨のフルートなどが見つかっており、カラルが交易と歓楽に立脚した平穏な社会であったことを示唆しています。


ワラス(Huaraz)

ワラスワラスはリマの北約420kmに位置し、ペルー中西部アンカシュ県にあります。ワスカラン国立公園、チャビン・デ・ワンタル、ユンガイの観光拠点となる町です。ペルーの最高峰ワスカラン峰(6768m)が迫る「ワスカラン国立公園」は、氷河を戴く美しい山々やエメラルドグリーンの湖水(ヤンガヌコ湖/南側のチナンコチャ湖と北側のオルコンコチャ湖)などが広がり、ペルーのスイスと呼ばれています。紀元前1000年頃に造られたプレインカ遺跡「チャビン・デ・ワンタル遺跡」は、石造建築で新・旧2つの神殿からなる神秘的な遺跡で、旧神殿の地下回廊にはランソン(高さ約4.5m)と呼ばれる巨大な石塔の主神体があり、宗教性が強く古代アンデス文明の起源をひも解く重要な遺跡として、1985年世界遺産に登録されています。

●ユンガイ慰霊公園(CampoSanto Yungay)
ワラス 1970年5月31日、M7.8のアンカッシュ地震が発生し、ワスカランの北峰が氷河と共に大崩落が起きました。 15,000,000m3の土砂と雪が標高3,000mの高さから時速300kmで村々を襲撃し、死者・行方不明者はこの地域全体で約7万人に達しました。中でもユンガイの被害は最も甚大で当時のユンガイの人口は約18,000人いましたが、そのほとんどが死亡しています。ペルー政府はユンガイの地を国有化し、国立墓地に指定して掘り返すことを禁止し、旧市街から南に約2kmの場所に新しいユンガイの町を建設しました。


チャビン・デ・ワンタル遺跡(Chavin de Huantar)

チャビンデワンタル遺跡 チャビンデワンタル遺跡はリマの北約450kmに位置し、拠点のワラスから車で約3時間のところにあります。標高3000mを超える小盆地にある神殿遺跡で、古代アンデス文明「形成期」のチャビン文化の代表的な遺跡です(紀元前1000年頃)。当時は、熱帯雨林地帯から北海岸地帯までの広い地域から巡礼者が訪れ、信仰や文化面で大きな影響を与えたと言われています。200m四方の範囲に広場を囲み、西、北、南に建物を配し、主神殿は幅1mほどの地下回廊が迷路のように張り巡らされ、その中心には儀礼で重要な役割を担ったと考えられる高さ約4.5mの石塔(「ランソン」と呼ばれている)が立てられています。各所にはジャガーなどの動物像や怪奇な神人像(浅浮彫り)が装飾されています。遺跡から少し離れたところに「国立チャビン博物館」があります。2008年日本政府の協力のもと完成し、チャビンデワンタル遺跡から発掘された貴重な遺物が美しく展示されています。日本語解説もあります。


セロ・セチン遺跡(Cerro Sechin)

セロセチン遺跡 セロセチン遺跡はリマの北約370kmに位置し、カスマ渓谷沿いにあり、紀元前1800~1300年頃に栄えたセチン文化の遺跡です。アドベ(日干し煉瓦)で作られた神殿のまわりを巨大な石版で囲った珍しいスタイルが特徴です。(通常、海岸部の遺跡は日干し煉瓦のみが主流)。建物の壁に利用した巨大な石版には、戦士や敵の捕虜たちのおぞましく傷ついた姿が描かれており、見るものを圧倒します。アンデスの高地に栄えたチャビンデワンタルよりも800年も古く、チャビン文化が南米大陸の文明の夜明けだとする定説を覆すことになった貴重な遺跡です。メキシコの「モンテ・アルバン遺跡」の石碑(踊る人々のレリーフ)に類似している点が考古学会でも注目されています。


トルヒーヨ(Trujillo)

トルヒーヨトルヒーヨはリマの北約550㎞に位置し、リマ、アレキパに次ぐペルー第三の都市です。トルヒーヨ近郊(または郊外)には、モチェ文化(紀元前後~700年頃まで栄える)の「太陽と月のワカ」、チムー王国時代(850年頃~1470年頃まで栄える)の首都「チャンチャン遺跡」、ペルー初の女王が統治したとされる「エル・ブルホ遺跡」などがあります。また市内北西約12kmにある海岸には、昔からの漁場の出港地として利用されていた「ワンチャコ海岸」があります。今ではサーフィンのメッカでもあり、昔ながらのトトラ舟を見ることができます。海岸沿いにはシーフードレストランやホテルがたくさんあります。

太陽のワカ・月のワカ ●太陽と月のワカ(La Huacas del Sol y de la Luna)
モチェ川と小高いセロブランコ(白い丘)の麓の間の広大な地域に残るモチェ王国の遺跡です。太陽のワカは、基底部が345m X 160m、高さ30mもあった要塞とされており、月のワカは宗教儀礼が行われた場所と言われています。2つのワカの間には町があり、政治・経済・宗教のエリートが暮らしていたと考えられています。太陽のワカは、スペイン人によって破壊されたため、外観のみの見学となりますが、月のワカは入場観光でき、当時の色を残した数多くの美しいレリーフが見られます。

チャンチャン遺跡 ●チャンチャン遺跡(Chan Chan)
チャンチャン遺跡は、チムー王国の首都で南米最大の古代都市です。市の中心部から北西約7kmの海岸に近い砂漠状の台地にあります。全体が日干し煉瓦で造られており、約20kmにおよぶ巨大な遺跡で、10の地区から構成されていますが、現在一般公開されているのは「パラシオ・チュディ(Palacio Tschudi)」と呼ばれる区画のみです。ここには主神殿、儀式の広場、墓地、食料倉庫などがあり、壁にはチムー時代の特徴でもある鳥や魚をモチーフにした浮き彫りがあります。

エル・ブルホ遺跡 ●エル・ブルホ遺跡(El Brujo)
トルヒーヨから北約60km、チカマ渓谷のそばにあるモチェ時代(文化)の遺跡です。遺跡にはワカと呼ばれるピラミッドが3つあり、ピラミッド内部には祭司や戦士、生け贄にされた兵士たちをリアルに描いた壁画があり、見応え十分です。ペルー最初の女性統治者セニョリータ・カオのミイラをはじめ、モチェ文化の発掘品を展示したカオ博物館が敷地内にあります。


チクラヨ(Chiclayo)

チクラヨチクラヨチクラヨチクラヨはリマの北約770㎞に位置し、乾燥した海岸砂漠にあるオアシスの町です。そんなチクラヨが有名になったのは、1987年の「シパン遺跡(Sipan)」の発見でした。シパンとはモチェ文化時代の王の名で、この王墓からは「エジプトのツタンカーメン王墓以来の大発見」と言われるほど、大量の黄金細工が見つかりました(発掘品はランバイエケ市内の「シパン王墓博物館」に展示)。さらに注目を集めたのがラ・レチェ渓谷のバタングランデにある「シカン遺跡(Sican)」の大発見です。この遺跡の時代はシカン文化(またはランバイエケ王朝)と名付けられ、モチェ文化(800年頃に滅亡)を引き継いだとも言われています。
遺物からはシカン文化の人々が周辺の異文化と交易が盛んだったことがわかっています。エクアドルからはウミギクガイやイモガイなどの大型貝類、コロンビアからはエメラルドと琥珀、チリからは青石、アマゾン県のマラニョン川流域からは砂金など。こうした貝や鉱物等への交換には、シカン文化の優れた品質の土器(黒い土器)やナイペと呼ばれる通貨が使用されていたと考えられています。 発掘期間は1979年~1992年で、日本人の島田泉氏(南イリノイ大学教授)が指揮をとったことで有名で、遺跡からは100点を超える黄金細工が発掘されました(発掘品はフェレニャフェ市内の「シカン博物館」に展示)。こうして、チクラヨを含むこのエリア一帯は、ペルーの黄金文化を育んだ場所「黄金国家の都」として世界に知られることになりました。それと同時に、これまでインカのものと考えられていた、特徴的なつり上がった目(アーモンドアイ)の装飾を持つ金製品は、実はシカン文化のものだったことも後に判明することになりました。
チクラヨ近郊には26のピラミッドが点在する「トゥクメ遺跡(Tucume)」があります。この遺跡は、シカン文化(750年~1350年頃)、チムー王国(850年~1470年頃)、インカ帝国(1450年~1532年)における巨大な宗教センターであったと考えられています。

●シカン文化のはじまりとされるナイランプ伝説
インカ帝国滅亡後にエクアドルのとある司祭(ミゲル・カベヨ・バルボア)が、1582年にペルー北海岸のグアダルーペにて現地の人々から聞いたとされる、古くから伝わる口頭伝承があります。それは、ランバイエケの人々の始祖は、はるか昔にバルサ筏の大船団で大平洋をわたってやってきたという話です。リーダーの名は、ナイランプ(Naylamp)で、高度に発達した黄金文化「シカン文化」を興したとされています。実はこの伝承(伝説)を史実とみなす考古学者も多数いて、ナイランプは実在の人物であり、シカン王国=ランバイエケ王国を築いた人物として、シカン美術の品々に頻繁に描かれる人物像はそのナイランプを模したとする考察もあり、今後の解明が注目されます。


カハマルカ(Cajamarca)

カハマルカカハマルカカハマルカはリマから飛行機で約1時間20分ほどにあるペルー北部を代表する町です。インカ帝国最後の皇帝アタワルパが、スペイン人征服者フランシスコ・ピサロに捕らえられ、最後は処刑されたインカ終焉の地でもあります。そのアタワルパが当時、湯治に利用していたという温泉が「プルトゥマルカ」で、現在の呼び名は「バーニョス・デル・インカ(インカの温泉)」です。町の中心にはアルマス広場があり、広場に面してカテドラル、サンフランシスコ修道院が建ち、その向かいにかの有名なクアルト・デ・レスカテがあります。「身代金の部屋」といわれ、アタワルパがスペイン軍のピサロに部屋一杯の金銀を用意する代わりに自由の身を命乞いしたとされる幽閉場所です。
近郊には崖山に掘られた300を超えるプレイインカ時代の横穴式の墓地跡「オトゥスコ遺跡」や標高3,500mにある「石の森」と呼ばれる、巨大な石柱が林立する不思議な景観の「クンベ・マヨ」などがあります。クンベマヨとはケチュア語で「精密な川(水路)」という意味で、紀元前1000年頃の建造といわれる「完璧な人工水路」や「線刻画(岩絵)」などが残っており、この「精密な水路」があることからその名が付いたといわれています。水路はカハマルカの地下を通って海岸線まで続いているともいわれ、遠い昔に高度な文明がこの地で花開いた証なのかもしれません。 またカハマルカ郊外には、1989年に大量の黄金が発掘され世界中の話題を呼んだ「クントゥル・ワシ遺跡」などもあります。

●クントゥル・ワシ遺跡(Kuntur Wasi)
クントゥルワシ遺跡 クントゥルワシ遺跡は、1989年に石造神殿遺跡とともに大量の金細工が発掘され世界中で話題を呼んだ遺跡です。一説では南北アメリカ最古の金細工と言われています。標高2300mの高地にある遺跡で(マチュピチュ遺跡とほぼ同じ高さ)、紀元前1000年頃から西暦初頭にかけて何度となく繰り返し重ねて建造された石造の神殿・建築物が残っています。墓から出土した数多くの金細工は、村人たちが運営する遺跡入口にある「クントゥルワシ博物館」に展示されています。発掘の指揮を執ったのは日本人の大貫良夫氏ら東京大学古代アンデス文明調査団です。


チャチャポヤス(Chachapoyas)

チャチャポヤスチャチャポヤスはペルー北部のアマゾナス州の州都で、リマからだと飛行機で最寄りのハエン空港まで約1時間50分、その後車で約3~4時間の場所にあります。チャチャポヤスとはケチュア語で「雲上の人々が住む地」の意味があります。彼らは断崖の上に先祖の骨を祀る独自の埋葬文化をもち、ユニークな人型土偶や家屋型の廟(空中墳墓)を数多く残しました(カラヒア遺跡やレバッシュ遺跡)。またマチュピチュに匹敵するような巨大な都市(要塞)を山の上に建造しました(クエラップ遺跡)。一説では、彼らは先住民らしからぬ背の高い白人種だったといわれています。 彼らはいつ、どこからやって来た民族だったのでしょうか?

●カラヒア遺跡(Karajia)
チャチャポヤス カラヒア遺跡は、チャチャポヤスの町から北西約45kmの場所にあります。カラヒアの石棺(Sarcofagos de Karajia)とも呼ばれ、 「ペルーのモアイ」として知られています。石棺が見られる場所までは崖に向かってさらに30分ほど歩きます(馬に乗るオプションもあります)。人型石棺は急峻な崖の中腹にあり、通路の足元から約24mの高所に置かれています。6基横並びの人型石棺は、小さく見えるも実際は高さ2.5mもある巨大なもので、中は綿布にくるまれたミイラのほか様々な副葬品が納められています。展望ポイントに向かう通路の途中には、かつて盗掘者に破壊された思われる石棺の人骨がそっと置かれています。

●レバッシュ遺跡(Revash)
チャチャポヤス レバッシュ遺跡は、チャチャポヤスの町から南へ約90kmの場所にあります。山道の入り口からは巨大な断崖絶壁の岩山が横一線に張り出している様子が見えます。デコボコの登り道をゆっくりと歩くとやがて右手側に広大な台地と岩山が重なる大パノラマ風景が目の前に広がります。太古からの地層がむき出しになったダイナミックな岩山を見ながらさらに歩くといよいよ断崖に張り付いたかのようなレバッシュの「家屋型の廟(お墓)」が見えてきます。プレインカ時代の埋葬習慣を伝える地域固有の「家屋型の廟」は盗賊によって破壊されないように険しい断崖に何箇所にも点在していることがわかります。

●クエラップ遺跡(Kuelap)
チャチャポヤス クエラップ遺跡は、チャチャポヤスの町から南へ約110km、標高3000mの山頂にあります。山頂へは麓からは山道を車で登るルートと楽にケーブルで上がるルートがあります。かつてインカ族が帝国の拡大でこの地を攻撃した際に激しく抵抗したとされる山頂の巨大な要塞は「北のマチュピチュ」ともいわれ、文化遺産的にも評価が高く、また最高の絶景スポットでもあります。マチュピチュの建造年よりも数百年も古いとされ、かつ優れた建築技術を駆使して造られたこの要塞は、エジプトの大ピラミッド建設で使用された石材のおよそ3倍の量を使用したとされています。

●レイメバンバ博物館(Leymebamba)
チャチャポヤス レイメバンバの町はチャチャポヤスの町から南へ約90kmの場所にあります。1997年レイメバンバ郊外のコンドル湖でチャチャポヤ族の219体にもおよぶミイラが発見されました。ミイラは湖面から垂直にそそり立つ岸壁の岩肌に造られた複数の墳墓に埋葬されており、湖をはさんで向かい側に集落があったとされています。こうした歴史的発見のミイラは、現在2000年に完成したチャチャポヤスの歴史博物館である「レイメバンバ博物館」に厳重に保管されています(ミイラ室の入場は不可でガラス越しに見学)。ミイラは高度な防腐処理が施され、体を小さく折りたたんだ奇妙な姿をしているため、古代の技術の凄さとは裏腹に様々な憶測を呼び謎に包まれています。


イキトス(Iquitos)

イキトスイキトスはリマから飛行機で約2時間ほどにあるアマゾンツアーの拠点の町です。人口は約35万人の大都市で、1890年~1920年にかけ訪れた天然ゴムブームが財をもたらし人口は一気に増加しました。町の南にあるスラム街ベレン・アルタ地区ではアマゾンに住む人々と触れ合うことができます。ここでは市民の台所でもある市場の風情と活気が楽しめます。バナナ、米、体長3mを超える巨大魚のパイチェ、そのほか野菜や衣料品などの店が延々と続いています。市場は一日中開いているが、特に午前中の賑わいはすさまじいので出来るだけ早い時間に訪れることをお勧めします。またこの巨大魚のパイチェの姿は、キストコチャ&動物園で見ることができます。


マヌー国立公園(Manu National Park)

マヌーマヌー国立公園はペルー最大の広さを誇る熱帯ジャングルです。ここでは絶滅危惧種の動物を含めて分かっているだけでもほ乳類約100種、鳥類約1000種など数多くの動物が生息しています。またこの広大な熱帯雨林は、3つのエリア(文化地区、保護地区、国立公園地区)に分かれており、その90%は一般の立ち入りが禁止されています。文化地区エリアは地元の人々が居住しています。ここでは狩猟、漁業、森林伐採が自然環境を破壊しない範囲で許されています。保護地区エリアはエコツーリズムに開かれた地区です。ここでは居住、狩猟、森林伐採は許可されていません。そして国立公園地区エリアでは、現在居住しているいくつかの部族以外の一般人立ち入りを禁止しています。この手つかずの自然と豊かな動植物の暮らすこの公園は1987年、ユネスコの世界自然遺産に登録されました。


コルカ渓谷(カニョン・デル・コルカ)

コルカ渓谷ペルー南部に位置するコルカ渓谷は、3200メートル以上もの深さが続く世界で最も深い渓谷の一つです。傾斜は緩いもののグランド・キャニオンよりも深く、展望台から見る見渡す限りの断崖と山脈の景色はまさに絶景です。展望台は「クルス・デル・コンドル」というところにあり、そこからは渓谷美、そして優雅に舞うコンドルの姿が見られます。コルカ渓谷には日帰りでも行けますが1泊2日がお勧めです。一般的な1泊2日のツアーの場合、チバイかカバナコンデに宿泊します。チバイからカバナコンデまでは車で約1時間ほどです。カバナコンデから展望台のあるクルス・デル・コンドルまでは車で約30分ほどで到着します。


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■ペルーの基本情報

■ペルーってどんなとこ?

ペルーは、アンデス山脈の中央に位置する国で山地と海岸地方と森林地方の3つに大別されます。
紀元前から古代文明が栄え、12世紀にはクスコを中心にインカ帝国が成立し栄華を極めました。1532年に新大陸を目指してスペインからやってきた侵略者フランシスコ・ピサロがインカ帝国を崩壊させ、以後3世紀にわたってスペインが領有。スペインの搾取と酷使の中から独立機運が高まり、1821年にホセ・デ・サン・マルティン将軍の指導の元に独立を宣言。1824年にスペイン王党派を撃破し、事実上の独立を果たしました。
ペルーには、古代文明やインカ帝国の歴史遺産など数多くの世界遺産があり、マチュピチュの空中都市やナスカの地上絵などを見学する観光客は、年間74万7,000人に達しています

■ペルーの気候は?

ペルーのクスコは、標高3000mを越す高地にあるため、1日の気温差は大きく、日中の日差しが強く、朝夜はかなり冷え込みます。4~10月が乾季、11~3月が雨季ですが、湿度は高くなりません。

■ペルーでの服装は?

クスコは標高3,360mの高地に位置するため、乾燥していて日中は日差しが強く、朝晩はかなり冷え込みます。セーターやジャンパーなど長袖の暖かい服装をご用意ください。日中の強い日差しに備えて、日よけの帽子、サングラスなども必需品です。

■ペルーの習慣&マナーなど注意することは?

クスコは標高3,360mの高地に位置しており、高山病に対する注意が必要です。高地に着いた際には、アルコール、喫煙及び睡眠薬などの服用は避けるとともに、決して無理をせず十分な休養を取ることが必要です。 遺跡等は歩いて観光するので、スニーカーなどの歩きやすい靴、動きやすい服装で。
飲料水は、水道の水は飲めません。煮沸して飲むか、ミネラルウォーターをお飲みください。
トイレは、なるべくホテルのトイレを利用しましょう。観光や外出の際は、ポケット・ティッシュを必ず携帯してください。

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ペルー共和国
Republica de Peru

ペルーの国旗
政体:共和制 
言語:スペイン語、ケチュア語
住民:インディヘナ47%、メスティソ40%、他
宗教:ローマ・カトリック90%、他
面積:128.5万Km2 (日本の約3.4倍)
人口:2760万人
通貨:ヌエボ・ソル(PES)
ペルーツアー ペルー大使館