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■メキシコの見どころ

メソアメリカ文明の遺跡

マヤ以外の遺跡分布図マヤ遺跡の分布図現在のメキシコシティは、かつては湖に浮かぶ島「テノチティトラン(Tenochtitlan)」と呼ばれ、町の中心には神をあがめる大神殿がそびえ、人口数十万人をかかえるメソアメリカ最大の都市でした。地中にはテンプロマヨールのような未発掘の遺跡が今もたくさん眠っており、全容解明に向けた今後の遺跡発掘に期待が寄せられています。一方、メキシコ全土に目を向けると、これまでに様々な時代の古代遺跡が発掘されてきました。メソアメリカ文明の始祖オルメカ文明の遺跡をはじめ、先古典期から古典期にかけて強大な勢力を誇ったテオティワカン文明の遺跡、テオティワカン滅亡後に群雄割拠した地方の遺跡、そして現在のグアテマラやベリーズ周辺からユカタン半島にかけて、約2500年間もの長い間繁栄したマヤ文明の遺跡です。単にメキシコの古代遺跡という狭い見方を少し掘り下げて、遺跡の時代背景などを知ることで、より一層興味が高まることを期待しています。

オルメカ文明後の時代区分として代表的な文明を大まかに分類すると、マヤ文明、テオティワカン文明、サポテカ文明、トルテカ文明、アステカ文明です。
「マヤ文明」は、紀元前1000年頃~後1524年、グアテマラ低地からユカタン半島へ勢力を拡大し、古典期(後250年~900年)が最盛期で、その後、突然謎の消滅をしています。 「テオティワカン文明」は、紀元前200年頃~後650年頃、メキシコ中央高原で誕生し、マヤ文明やサポテカ文明にも大きな影響を及ぼしています。巨大な神殿ピラミッドの建造をはじめ、高度な政治と経済圏を機能させた文明国家ですが、文字を使用した形跡がなく、7世紀頃、突然都市を放棄して消滅しています。 「サポテカ文明」は、モンテアルバンを中心に、紀元前500年頃~後800年頃、オアハカ地方で誕生し、独自の文字や文化を極め、テオティワカンと並走しながら繁栄しました。 「トルテカ文明」は、テオティワカン崩壊後、群雄割拠の地方都市を攻略して、7世紀から12世紀頃まで、トゥーラを中心に繁栄しました。ケツァルコアトルを信奉し、金銀細工の冶金術に優れ先進的な文化を開きました。最後の「アステカ文明」は、現在のメキシコシティを中心に、1428年頃~1521年まで繁栄しましたが、スペイン人の征服によりわずか95年間で幕を閉じました。


メキシコシティ(Mexico City)

メキシコ国立人類博物館(太陽の石)中央広場のあるソカロ周辺は歴史地区であり、観光名所が集中しています。主な観光地として、テンプロ・マヨール(アステカ帝国の神殿跡)、メトロポリタン・カテドラル(南米最大級の教会)、メキシコ独立の舞台だった国立宮殿(リベラの壁画「メキシコの歴史」)、三文化広場(16世紀のサンチャゴ教会、アステカ時代のトラテロルコ遺跡、現代の高層団地)などがあります。なかでも一押しは、メキシコ古代文明の集大成ともいえる「国立人類学博物館」です。ここは1日ないし2日かけてじっくり見学したいところで、貴重な発掘品から本物以上に精巧に復元したレプリカまでメキシコ各地の遺跡を訪れずとも、その感動を手にすることができる唯一の場所です。


テオティワカン遺跡(Teotihuacan)

テオティワカンテオティワカンメキシコシティから車で約1時間、北東約50kmの地点にあり、紀元前2世紀から後7世紀頃まで存在した当時の新大陸で最大規模の都市遺跡です。面積は23平方キロメートルもあり、平安京とほぼ同じ大きさです。また最盛期の人口は最大20万人に達し、同時代のローマ帝国の首都コンスタンチノープルに匹敵すると言われています。またマヤ文明の諸都市と比べて、より中央集権的な政治組織と、より発達した経済組織を有し、古典期のメキシコ盆地の政治・経済・宗教の一大中心都市であったと考えられています。なお後650年頃に大火災に見舞われ、謎の滅亡を遂げています。テオティワカンが滅亡して500年後の後世のアステカ人たちはこの廃墟の規模に驚嘆し、ナワトル語で「テオティワカン(神々の座所)」と呼んだことがその名の由来だそうです。彼らはどこからやってきた民族なのか、どんな言語を使っていたのか、マヤ文明と違い複雑な文字体系を持たずに巨大な文明圏を築けたのはなぜなのか、今も不明で謎だらけですが、古典期のメソアメリカの国際都市として様々な言語が交差する中で隆盛を誇ったことは間違いないと言われています。

中心部を南北に貫くメインストリート「死者の道(長さ4km、幅45m)」を軸に、碁盤の目のように区画された市街地には、「太陽のピラミッド(高さ65m、底辺222m×225m)」「月のピラミッド(高さ47m、底辺140m×150m)」「ケツァトルコアトルの神殿(高さ20m、底辺65m×65m」、ケツァルパパロトルの宮殿、ジャガーの宮殿ほか、公共建築物や集合住宅などの遺構が残っています。

テオティワカンにもオリオンミステリーが隠されている!?
オリオンミステリーギザの3大ピラミッドとも比較されるテオティワカンの3つの神殿ピラミッドにも謎があります。それは、あの「オリオンミステリー」です。ギザの3つのピラミッドの配置は、オシリス神の故郷オリオン座の3つ星の並びとよく似ていると話題になりましたが、テオティワカンの「月のピラミッド(=メンカウラー王)」「太陽のピラミッド(=カフラー王)」「ケツァルコアトルのピラミッド(=クフ王)」も実は同じような配置となっています。
時代も場所も異なる2つの文明に共通項はあるのでしょうか?


トゥーラ遺跡(Tula)

トゥーラトルテカ帝国(7世紀頃~12世紀頃に存在したとされる伝承上の帝国)の首都で国際都市のトゥーラ遺跡は、メキシコシティから車で約1時間30分、北西約80kmの地点にあります。
テオティワカン滅亡後、メキシコ中央高原には中規模都市が各地に勃興しましたが、10世紀に入ると北方より好戦的なトルテカ人が侵入し、ポスト・テオティワカンの各都市をつぎつぎに攻略して「トルテカ帝国」を築いたと言われています。トルテカ人は高度な文明人で、偉大な統治者、戦士、優れた建築家であったとされています。平和主義に基づいて治世したケツァルコアトル王(=セ・アカトル・トピルツイン王)は、人身供犠に反対して、好戦的な神を信奉する家臣団の反発を受けてトゥーラを追放され、後にマヤ文明圏で新たにククルカンとなってマヤ文明社会を平定したという伝説があります。 なお、トゥーラ遺跡のピラミッドBにある「戦士の柱像」とチチェン・イッツァ遺跡の「戦士の神殿」との類似性から、トルテカ人がチチェン・イッツァに侵入したのではという説もありましたが、実際はその逆で戦士像の規模や完成度はチェチェン・イッツァに軍配が上がり、時代的にはトゥーラのほうが前で、後にチチェン・イッツァが作られたとされています。


エル・タヒン遺跡(El Tajin)

エルタヒン遺跡/壁龕ピラミッド パパントラのボラドーレス/空中を回転しながら地上に降りてくる儀式エル・タヒン遺跡はメキシコ湾の西岸ベラクルス州で栄えた宗教都市(祭祀センター)で、メキシコシティから空路ポサリカまで約1時間、観光拠点の町パパントラの南西8kmにあります。
パパントラには、高さ30mもの柱の先からロープに縛られた4人の男たちが空中を13回旋回しながら降りてくるという宗教儀式「ボラドーレス(Voladores)」があります。一説ではいわゆる豊穣信仰の儀式ではなく、天空から神が降り立ったことを目の当たりにした当時の人々が、神(ケツァルコアトル=羽毛のある蛇)を崇め、その再訪を願った儀式だったともいわれています。
エル・タヒンが繁栄した時期はおよそ後600年~後1200年頃で、この地の近隣に居住していたトトナカ族が建設したといわれていますが、最近の研究では、マヤ系のワステカ族によって建設されたものではないかという説もあり、実態は現在も不明です。遺跡内には壁龕(へきがん)ピラミッドをはじめ、数多くの基壇や神殿、10を超える球戯場があり、壁面には神話や人身供犠のレリーフなど壮麗なレリーフがたくさん残っています。壁龕の数は「365」あり、それぞれの壁龕は太陽暦の特定の日を表していたと考えられ、それぞれの日に宗教的な意味合いがあるために象徴的に赤や青などの色で塗り分けられていたと考えられています。マヤでもアステカでもない高度な文明(文化)がなぜこの地で開花したのかは謎です。


グアナファト(Guanajuato)

グアナファトの町メキシコシティから空路で約1時間。数あるメキシコのコロニアル都市の中で一番美しい町です。銀の産出で富をもたらしたこの町はまるで中世のおとぎ話に出てくるような風景が広がっています。パステルカラーのかわいい建物から重厚なバロック様式の教会まで、町にすっぽり納まっています。主な見どころは、ファレス劇場、プエブロ博物館、グアナファト大学、アロンディガ博物館、ミイラ博物館、口づけの小道、ピピラ記念像(ピピラの丘)などがあります。

●グアナファトの歴史
1548年に銀鉱が発見されて以後、多くの人々が銀を求めてこの町に移り住み、18世紀には世界の銀の3分の1を産出したとも言われ、世界屈指の銀鉱山都市となりました。町にはヨーロッパと現地の建築様式を融合させた優雅なコロニアル様式の建物が立ち並ぶようになり、中央メキシコ自体の建築に影響を与えました。1810年にスペインからの独立戦争(メキシコ独立戦争)が勃発しましたが、グアナフアト州はその舞台となり、ドロレスの司祭だったイダルゴ神父が先住民や農民たちを従えて植民地政府打倒に向けてグアナフアトへ進撃したことをきっかけに、独立の気運は各地に飛び火することとなりました。政府軍と解放軍との激戦が繰り広げられた象徴的な場所「アロンディガ・デ・グラナディータス(もとは穀物倉庫で、戦争時は政府軍の陣地)」は、現在博物館となっています。


オアハカ(Oaxaca)

オアハカ(サントドミンゴ教会)メキシコシティから空路で約1時間10分。おしゃれなコロニアル建築が立ち並ぶ歴史地区と、昔ながらの風習を守る先住民族の文化と生活が残る、ここオアハカには他のメキシコの町とはどこか違った雰囲気・魅力があります。主な見どころは、サントドミンゴ教会(バロック建築の傑作)、オアハカ文化博物館(モンテ・アルバン、ミトラからの出土品展示)、郊外にはモンテアルバン遺跡、ヤグル遺跡、ミトラ遺跡などがあります。おすすめは、メソアメリカ文明最古の遺跡と言われる「モンテ・アルバン遺跡」です。


●モンテ・アルバン遺跡
モンテアルバンモンテ・アルバン遺跡は紀元前500年頃にメキシコ南部高地のオアハカ盆地にある山頂(高さ400m)を人工的に平らにして築かれたサポテカ文明の都市センター(政治・軍事・宗教の中心地)で、後800年頃に滅亡するまで実に1300年の長きにわたって繁栄した稀有な都市国家です。最盛期の人口は約25,000人で(盆地全体では約11万人)、独自のサポテカ文字を使い、建築様式にはテオティワカンのタルー・タブレロ様式を取り入れており、両者間で密接なつながりがあったと思われます。また「踊る人々の宮殿」にある捕虜のレリーフは、ペルーのチャビン文化以前の遺跡「セロ・セチン遺跡」にも同様のレリーフ(戦士や捕虜たちの傷ついた姿を描いた浅浮彫りのレリーフ)があり、メソアメリカ文明と古代アンデス文明との間になんらかの交流があった可能性も指摘されています。


ビジャエルモサ(Villahermosa)

パレンケメキシコシティから空路で約1時間20分。マヤ遺跡の至宝「パレンケ遺跡」へのアクセス拠点として知られています。郊外にはマヤ遺跡の「ボナンパック」(彩色壁画で有名)や「ヤシュチラン」(ジャングルの中の宗教都市)などもあります。
パレンケ遺跡には碑文の神殿(パカル王の墓発見)、頭蓋骨の神殿、宮殿、十字架の神殿、太陽の神殿などがあります。特にパカル王の地下墳墓の発見はマヤのピラミッドに「王の墓」の役割があったことを示す証拠となり、マヤ文明研究に一石を投じることにもなりました。

ラ・ベンタ遺跡
ラベンタラ・ベンタ遺跡はメキシコ湾岸で栄えたオルメカ文明(紀元前1200年~紀元前200年)と呼ばれるメソアメリカ文明の母体と称される代表的な遺跡のひとつで、絵文字の活用や数学・暦などが発達し、高度な石造加工技術も持ち、のちのマヤやアステカに大きな影響を与えたとされています。その代表的な出土品が「巨石人頭像」で、サン・ロレンソで10個体、ラ・ベンタでは4個体、その他を含めて合計17個体が発見されています。宗教儀式(ジャガー信仰)に関する石像物(祭壇・石碑など)や動物の姿を借りた神々の表現(ジャガー・ワニなど)が特徴的で、頭蓋変形した奇妙な顔立ちの像(会議に集まる人々)など、不思議な出土品が目立ちます。なお、実際のラ・ベンタ遺跡はビジャエルモサの町の西約80kmにあり、そこからの出土品がこの遺跡公園に移され展示されています。

パレンケ遺跡
パカル王パレンケ遺跡はメキシコの考古学者アルベルト・ルスが1952年に「碑銘の神殿」の地下にパカル王の墓を発見したことで、「マヤのピラミッド=神殿」説が覆るきっかけとなった有名な遺跡です。マヤ随一の優美な建造物と精緻な浮彫り、隆盛を極めたパカル王の翡翠のマスクなど貴重な副葬品も多数発見されています。またスイスの実業家エーリッヒ・フォン・デニケンが、著書「未来の記憶(1969年発刊)」の中で、パカル王の石棺に描かれた浮彫りは「宇宙船を操縦する王の姿」だと独自の仮説を披露し、マヤ文明の高度な技術進歩の裏に地球外知的生命体が関与しているという「古代宇宙飛行士説」が広まる契機にもなりました。偶然にも1969年はアポロ11号による人類史上初の月面着陸が実現した年でもあり大変興味深いものがあります。

ヤシュチラン遺跡とボナンパック遺跡
ボナンパックヤシュチラン遺跡はウスマシンタ川が大きく蛇行する内側に位置し遺跡までのアクセスは陸路では行けず、ボートで向かいます。古典期(4世紀~8世紀)に栄えたマヤ文明の都市センターのひとつで、王の姿を彫刻した石碑や高い飾り屋根が特徴的な建造物が多数残っています。また同時期に栄えたボナンパック遺跡は小神殿の部屋に残る色鮮やかな「装飾壁画」が有名で、「残忍で好戦的な描写」などがテーマ別に3つの小部屋の壁一面に描かれており、「戦争を好まない平和的な民族」とされていたマヤ民族観を根底から覆す一大発見となりました。【第1の部屋】には「王位継承に関する儀式」の様子/楽隊と踊り手が入場してきてピラミッド基壇には祝典の始まりを待つ貴族たちを描写。【第2の部屋】には「戦闘の場面と捕らえた捕虜たちの審問と凌辱」の様子/王が捕えた捕虜を尋問し拷問にかける様子を描写。【第3の部屋】には「生贄の儀式や貴族たちの放血儀礼」の様子


ユカタン半島(Yucatan Peninsula)

トゥルム遺跡 ユカタン半島は歴史的にみてもとても興味深いところです。太古の昔、恐竜を絶滅させたとされる巨大隕石が衝突した場所で、古代メソアメリカの古典期(300年-900年頃)には、マヤ文明が大いに繁栄した地域でもあり、そして現在では、世界屈指の美しいカリブ海リゾートの花形エリアに変貌しています。マヤ遺跡観光の玄関都市メリダへはメキシコシティから空路で約1時間40分。 無数のマヤ遺跡が点在する中、代表的な遺跡としては「チチェン・イッツァ」「ウシュマル」「カバー」「ラブナ」「マヤパン」「エズナ」「コバ」「トゥルム」などがあります。

●カンクン(Cancun)
カンクンマヤ語で「ヘビの巣」という意味を持っている、カリブ海とラグーンに挟まれたメキシコを代表する国際リゾート地です。1年の3分の2が晴天であり、年平均気温も27~28度ほどなので、1年を通して楽しむことができます。ホテルゾーンには世界的なホテルが立ち並びバスも頻繁に運行しています。英語が比較的通じるエリアであり、ダイビングやマリンスポーツなどのアクティビティも充実しています。また家族連れやカップルにも人気のエコパークや遺跡観光と抱き合わせて楽しめるセノーテ(聖なる泉)でのシュノーケリングなど、カンクンならではのバカンスの楽しみ方がたくさんあります。

●チチェン・イッツァ遺跡(Chichen Itza)
チチェンイッツァカンクンから車で約2時間半、国道180号線を西へ200kmの地点にあります。マヤの言葉で「泉の湧くところ」という意味があり、セノーテと呼ばれる聖なる泉が2か所あります。建造物群は南側の「旧チチェン・エリア」(600年~800年頃)と北側の「新チチェン・エリア」(900年~1200年頃)の2つのエリアに分かれています。南側の旧チチェンには、プウク式の建造物が多くみられ、雨の神チャックが彫られています。一方、北側の新チチェンの建造物には、創造神ククルカン、すなわちケツァルコアトルのモチーフが多数みられ、メキシコ中央高地のトルテカ文明(トゥーラ遺跡)とのつながりも伺えます。
新チチェン(北側)/エル・カスティージョ、戦士の神殿、頭蓋骨の台座、ジャガー神殿、球戯場など
旧チチェン(南側)/カラコル(天文台)、尼僧院、高僧の墳墓など

<エル・カスティージョについて>
スペイン語で「城(El Castillo)」の意味をもつチチェン・イッツァを代表するピラミッド様式の神殿で各面に急な階段があります(高さ約25m)。この階段は、91段あり頂上を合わせ農耕に重要な1年を表していたのではないかといわれています(91段×4面+頂上部1段=356)。さらに、秋分の日と春分の日にはピラミッドの側面に太陽の日が差して階段のギザギザ模様の影を均一に映し出します。階段の下には、羽毛のヘビ(ククルカン)がしつらえられており、この影ときれいに繋がっているように見えます。この様子はククルカンの「降臨現象」と言われています。

●ウシュマル遺跡(Uxmal)
ウシュマル メリダの南約80kmの地点にあり、車で約1時間20分。建築技術の水準の高さではティカルやパレンケと並ぶマヤ古典期を代表する大遺跡で、繁栄期は7世紀~10世紀頃とされています。他の遺跡では一般的に見つかる日付が刻まれた石碑や長文のマヤ文字、歴史的出来事を描いた壁画などの情報源がなく、唯一建築様式(プウク様式)から時代測定したとされています。そのプウク様式は、平な屋根と建物の外壁上部を精緻な装飾文様で埋めつくすのが特長です。この地域は河川が全くなく、雨水が頼りだったために雨の神チャックを深く信仰していましたが、10世紀にシウ人により占拠された後は、ククルカン(=ケツァルコルトル)も信仰するようになりました。

<魔法使いのピラミッドについて>
ジャングルにあるマヤ遺跡としては珍しい丸みを帯びた楕円形で、女性的な印象を与えるピラミッドです(高さ約35m)。5つの神殿を積み重ねたといわれ急な階段の先にある頂上には雨の神チャックなどの精密なモザイクが一面に埋め尽くされています。また、この階段の脇にも雨の神チャックの顔が頂上まで続いています。魔法使いのピラミッドは、伝説によると卵から生まれて一年で大人になった小人がウシュマルの王の挑戦を受けて一夜にして建てたとされています。1996年ユネスコの世界文化遺産に登録されました。


チワワ太平洋鉄道(Chihuahua)

チワワ太平洋鉄道太平洋岸、ロスモチスから内陸部のチワワを結ぶ鉄道。メキシコでは数の少ない、旅客列車を運行している路線です。地元住民の足となっていますがその美しい景観から”観光列車”として世界中に知られています。 90年もの歳月をかけて敷設された、この鉄道の全長は約650km、高低差約2300mで、途中37の橋と86のトンネルを通ります。鬱蒼と生い茂る緑深い渓谷や険しい岩肌の山々を縫うように進み、車窓からは雄大な景観が楽しめます。ディビサデロ駅周辺では、この列車最大の見所”コッパーキャニオン”(銅渓谷)が眼下に広がります。また場所場所によって景色が異なるのも魅力で、チワワ~クリール間はサバンナ状態と呼ばれる木々が少ない平らな土地とハダカ山が景色の中心になります。 渓谷沿いには先住民族のタラウマラ族が住んでおり、線路沿いにカラフルな衣装の人々が民芸品などを売りに来ます。


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■メキシコの基本情報

■メキシコってどんなとこ?

中米にありアメリカとグアテマラ、ベリーズと国境を接する国です。面積は日本の5倍もある観光大国です。太平洋に面したアカプルコやロスカボス、カリブ海に面したカンクンなどのリゾート地としても知られています。古くはエジプトにも劣らないほど天文学や暦学が発達していました。(マヤ文明、アステカ文明など)このころ建造された遺跡は多くの謎を残し現在も発掘作業が行なわれています。1519年にスペイン軍が上陸し侵略され、独自の文化は薄れていきました。しかし、1800年代になると独立戦争が勃発し1821年には独立が達成されました。

■メキシコの気候は?

広大な面積のメキシコの気候はいくつかに分けられます。基本的に6~9月が夏で雨季となり10~5月が乾期で11~2月は冬になります。
北部は砂漠が多く夏には気温40度以上になることもあります。朝、晩は涼しくなりますが、時期により氷点下近くまで冷え込むこともあります。
中央高原は、1年を通して常春のような過ごしやすい気候です。冬は寒い日もあり、平均最低気温は10℃前後です。
西海岸は熱帯気候になり、雨季は毎日のようにスコールがあります。1年を通して温暖です。
ユカタン半島周辺は、海岸沿いは貿易風が吹き涼しいですが、内陸はジャングルになり蒸し暑いです。

■メキシコの気候は?

晴天率が高く日差しが強いので日焼け止め、サングラス、帽子の3点は持っていったほうが良いでしょう。雨季になると蚊が多いので虫除けがあると便利です。海岸部に行く場合でもあったほうがいいでしょう。水は、水道水ではなくお店でミネラルウォーターを買いましょう。また、日差しの強い中過ごす場合は脱水症状を避けるため適度に水分を取りましょう。

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メキシコ合衆国
Estados Unidos Mexicanos

メキシコの国旗
政体:連邦共和制
言語:スペイン語
住民:メスティソ80%、インディオ10% 他
宗教:カトリック教、他
面積:195.8万9000Km2(日本の約5.2倍)
人口:約9049万人
通貨:メキシコ・ペソ(MXN)
時差:マイナス14時間
メキシコツアー