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■ヨルダンの見どころ

ペトラ遺跡(Petra)


イスラエル・ヨルダン観光地図●ナバテア王国の栄枯盛衰
ペトラ遺跡はアンマンの南約240km、車で約3時間、死海と紅海の中間に位置するナバテア王国の遺跡です。紀元前2世紀頃に遊牧民族のナバテア人が先住のセム系のエドム人を追い出してペトラに定住し、紀元前168年に王国を建国したとされています(初代国王はアレタス1世)。隊商都市となったペトラは砂漠を往来するキャラバン隊の中継基地となり、香辛料などをヨーロッパへ送る最後の逗留地として国際商業都市へと発展していきました。超大国のローマとは対立を避け、紀元前64年頃から共和制ローマの支配下(ローマの属国)となるも自治を獲得して王国の安定を図りました。またこの頃より建造物はローマ風に造営されるようになり、最盛期には約3万人が暮していたと言われています。
アレタス4世の時代(紀元前9年~後40年頃)にナバティア王国はその領土をダマスカスからアラビア半島西域の砂漠周辺部とネゲブ地方まで広げ、南アラビアから地中海にいたるほぼ全ての隊商路を掌握し、乳香や没薬(もつやく)の貿易により大いに繁栄しました。ところが紀元後1世紀頃になるとアラビア半島西域を通る交易ルートは紅海を利用した海上貿易が主流となり、一方で陸上交易路としてはペルシャ湾からシリア砂漠を越えて地中海地域へと抜ける交易ルートが活性化しました。そのため、パルティアのハトラやシリアのパルミラなどのペルシャ湾ルート上の都市が商業都市として台頭し、相対的にナバテア王国の商業都市としての重要性が低下し、やがて衰退の道を歩んだとされています。

●エル・ハズネ (Al Khazneh)
ぺトラ遺跡ぺトラ エル・ハズネは高さ約40m、幅約25mあり、紀元前100年から紀元後200年の間にその原型が造られたと考えられています。その建造工法は素晴らしく、崩落リスクを考慮して、職人たちは断崖を上から下へと計画的に彫り進めて完成させたとされています。映画「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」の舞台としても有名で、絶壁をくり抜いて造られた建物は「宝物殿」と呼ばれています。その名の由来のひとつに、盗賊が第2層の高所にある石の壺の中に略奪品を隠したという伝説がありますが、定かではありません。この建物には古代ギリシャのコリント様式やヘレニズム文化の影響を受けた建築様式が使われており、ギリシャやエジプトなど様々な地域の文化の影響を受けていたことがわかります。一日の微妙な光の違いによって50色ものバラ色を見せるとも言われ、行きと帰りで違う雰囲気を楽しむことができます。
ペトラ遺跡の入り口からおよそ1.2km続くシークの岩肌には、ナバテアの神々や碑文が多く彫り込まれ、下部には水路や素焼きの水道管の跡が残っています。ナバテア人が紀元前からペトラに給水と治水の設備を完備させていたことは驚きで、ペトラの東にあるアイン・ムーサの泉を主な水源としていたとされています。ペトラの中心部に水を供給していた痕跡はほかにもあり、見晴らしのよい高台には王の宮殿を建て、今風の露天風呂が造られていたこともわかっています。

●エド・ディル (Ad Deir)
ぺトラ遺跡 エド・ディルはアラビア語で「修道院」の意味で、巨大な砂岩の岩山を削って造られています。建造工法はエル・ハズネと同じく、上から下へと彫り進めて完成させたとされています。高さ45m、幅50mとエル・ハズネよりもひと回り大きく、標高1000mに位置し、ファサードの最終地点から続く山道の階段(900段以上)を登り切ったところに現れます。行きの登りは約1時間、帰りの下りは約40分程度かかります。山道の途中には、ライオンのトリクリニウムがあります。これは、お墓だと言われ入り口が風などによる風化で鍵穴のような形をしています。周辺の岩肌は天然のものとは思えないほどカラフルな模様をしています


ジェラシュ遺跡(Jerash)

ジェラシュ遺跡アンマンの北約50km、車で約45分に位置するローマ帝国時代の遺跡です。ローマ人がアラブに建設したローマ都市の中でも最も華麗で壮大な遺跡のひとつといわれ、最盛期の人口は約25000人にのぼるとされています。ジェラシュは紀元前64年にローマの属州となって以降、イスラム軍に侵入される7世紀まで、およそ700年に渡って隊商都市として繁栄しました。全長約3.5kmに及ぶ城壁の中には、列柱道路を軸にして、フォーラム、神殿、劇場、浴場が次々と造られたとされています。まず目に入るのが小さな凱旋門で、これは129年にハドリアヌス帝が訪れたのを記念して建てられました。向かいには競馬や馬車(戦車)競技が行われた競技場があります。競技場から300mほどの所に遺跡のメインゲートがあります。入り口を入った左側にはゼウス神殿があり、隣には3000人を収容できる南劇場がほぼ完全な状態で保存されています。南劇場の上部から見える卵形の広場がフォーラムで、フォーラムから600mほど石畳の道を歩くと大聖堂があります。この大聖堂の裏側にはいくつもの教会跡がありさらに進むと西浴場、北劇場があります。ローマ帝国時代からビザンチン帝国、そしてイスラム帝国時代までその姿を変えず、今日まで残る稀有な遺跡は、ペトラ遺跡に次ぐ目玉観光地です。


マダバとネボ山(Madaba and Mount Nebo)

マダバ・ネボ山ネボ山は、旧約聖書の出エジプト記に登場するモーセ終焉の地です。モーセは兄アーロンやヨシュアとともに、約300万人のイスラエル民族(ヘブライ人)を引き連れて、約束の地カナン(現在のパレスチナ)を目指しましたが、残念なことにこのネボ山で息絶えることとなりました。そのネボ山には、4世紀後半にモーセの死を偲んで建てられた教会があり、モザイクで覆われた教会の床下からは天然の岩をくり抜いた6基の墓が発見されています。また頂上付近には、モーセの「青銅の蛇」の十字架のモニュメントもあり、人気の撮影ポイントでもあります。一方マダバは、イスラム教徒とキリスト教徒が共に暮らす町で、モスクと教会が建ち並び、町ゆく女性たちもヒジャブを着けた人と着けない人が歩いています。この町で有名なのは、モザイクでできたいわゆる「マダバ地図」です。約200万個の石のかけらでできたこのモザイク地図は、ギリシャ正教の聖ジョージ教会のバシリカの床を飾っていました。6世紀のパレスチナとエジプト地方の様々な地名が記載された大変貴重な歴史的資料であり、また古代パレスチナの地形や町、東ローマ帝国時代のエルサレムを描いた現存する最古の地図でもあります。 そのほか、マダバの南西約18kmのところには、イエスの洗礼者ヨハネが首をはねられたと伝えられる不自然な円錐形をした丘「城塞ムカーウィル」があります。


死海(Dead Sea)

死海・デッドシースパのビーチ死海は生物が棲めない湖として有名です。西側がイスラエル領、東側はヨルダン領で、両国に接する位置にあり、湖面の海抜はマイナス約410mで地表で最も低い場所にあります。通常の海水の塩分濃度は約3%ですが、死海の塩分濃度はその10倍で、およそ30%もあります。この高い塩分濃度によってより大きな浮力が働き、普通の大人でも楽に浮遊することができます(浮遊体験)。もちろん水の中で目を開けることはできません。塩分濃度が高いのは、500万年以上も前に起こった地殻変動で海水が閉じ込められ、太陽の熱により水分が蒸発し凝縮したことと、周囲にある多数の温泉からミネラル成分が流れてきたことが原因だとされています。死海周辺には、エステやスパの施設が完備された一流リゾートホテルもあり、ヨルダン観光の人気のエリアにもなっています。


カラク城(Karak Catsle)

カラク城アンマンの南140Km、キングスハイウェイ(王の道)の中ほどに位置する十字軍時代の城塞跡です。12世紀前半に十字軍によって建設され、現在のシリアからエジプトの間を往来するイスラムの軍勢の動きを遮断したり、またイスラム教徒のメッカ巡礼やキャラバン隊に通行税を課税するなどして、軍事的にも宗教的にも優位に立てるよう、この城塞は戦略的上重要な役割を果たしていました。歴代城主の中では、1177年に城主となったフランスの騎士ルノー・ド・シャティヨンが有名です。当時はエルサレム王国(十字軍)とイスラム王国との間には休戦協定があり、生命の安全が保証され、イスラム教徒もエルサレム巡礼が自由に行われていました。ところが、強硬派のルノー・ド・シャティヨンは度重なるイスラムのキャラバン隊襲撃を実行したため、サラディンの怒りを買い、休戦協定は破棄され、1187年イスラム王国はエルサレム王国に宣戦布告しました。このハッティーンの戦いで十字軍は大敗を喫し、ルノー自身も殺害され、その後エルサレム王国も陥落しました。映画「キングダム・オブ・ヘブン」でも登場します。


ワディ・ラム砂漠(Wadi Rum)

ワディラム砂漠ワディラム砂漠は、アカバの東約60kmに位置し、ワディムーサ(ぺトラ遺跡そば)から車で約1時間30分、アカバから車で約1時間の距離にあります。ワディラム保護区として世界遺産登録されており、入口にはビジターセンターがあります。ビジターセンターの南5kmにベドウィンの村があり、その先からは本格的な砂漠となります。砂漠は4WD車で疾走し、ロレンスの泉やナバタイ人の碑文、石の橋なども見学しながら、岩と砂漠の大地をめぐります。日帰り観光のほかに、ベドウィンキャンプに1泊して、月の砂漠で星を眺めるといったロマンティックな楽しみ方もあります。またワディラムは映画の撮影場所としても有名で、「アラビアのロレンス」にはじまり、「トランスフォーマー」「オデッセイ」「スターウォーズ」など数々の映画が撮影されています。



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■ヨルダンの基本情報

■ヨルダンってどんなとこ?

中東に位置しシリア、イスラエル、イラク、サウジアラビアと国境を接するヨルダンは、イラク情勢やパレスチナ問題などでたびたびその名が登場するため、なかにはこの国に対して良くないイメージをもつ人もいるかもしれません。しかしながら、ヨルダンは政治的に安定しており、特にイスラエルとの和平協定のあとは世界中から多くの観光客が訪れる観光立国に成長しています。

■ヨルダンの気候は?

国土の80%以上を砂漠が占め気候は全般的に乾燥していますが春と秋が非常に短い四季があります。5~10月が夏でアンマンでは平均気温は23℃ほど、7~8月は40℃を越す猛暑日もありますが、乾燥しているため日陰に入るとそれほど暑くなく快適に過ごせます。12~2月は冬にあたり、アンマンの平均気温は9℃と冷え込み雪が降るところもあります。主に3~5月は暑さが和らぐので旅行シーズンではありますが5月ですでに30℃えを越す日も稀にあります。

■ヨルダンの通貨は?

ヨルダン・ディナールJordan Dinnar (JD)とフィルス(Fils)が使われています。 1JD=1000 Fils。紙幣は50JD、20JD、10JD、5JD、1JD、0.5JDがあります。

■ヨルダンの習慣・マナーなど注意することは?

水道水ではなく、ミネラルウォーターを飲みましょう。1.5Lで250Fils位。 ヨルダンのモスクの多くは異教徒の入場を禁じています。また、他のイスラム諸国同様、左手で他の人に触れたりしてはいけません。飲酒も公の場では控えましょう。

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ヨルダン・ハシェミット王国 Hashemite Kingdom of Jordan

ヨルダンの国旗
政体:立憲(世襲)君主制
言語:アラビア語(英語も通用) 住民:ショナ族75%、ンデベレ族20%、ヨーロッパ系白人1%、その他アジア系など4%
宗教:イスラム教93%、キリスト教等
面積:8.9万Km2(日本の約25%)
人口:約535万人
通貨:ヨルダン・ディナール(JD)
時差:マイナス7時間
ヨルダンツアー

■ヨルダン国情報