マダガスカルをはじめ、ペルー・ボリビア・ガラパゴス・
キューバ・ケニア・タンザニア・ヨルダン・スリランカ等
秘境や特殊地域の個人旅行を専門に取り扱うザ・ワールド

03-6380-1152
Previous
Next

エジプト見どころ

カイロ(Cairo)

●カイロ中心地=Central Cairo=
カイロはアフリカ最大の都市で、エジプトの人口の約30%ほどが住んでいます。本格的に発展してきたのはアラブ軍がカイロを征服してからのことで、実はカイロの歴史は比較的新しいのです。カイロ中心地では、エジプト考古学博物館やアブディーン宮殿などがあり、考古学博物館ではツタンカーメンの墓で見つかったマスクや宝物、古代エジプトの歴史的遺物を見ることができます。ミイラ室は温度設定がかなり低く設定されているため、非常に寒く、またカメラなどの持ち込みが禁止されているため、入場時にチェックがあります(ミイラ室の入場は別料金が必要です)。アブディーン宮殿は、1863年ムハンマド・アリ王朝のイスマイル王の命により建てられた最も有名な宮殿のひとつで、1952年のナセル革命以前までは代々の王の住居でしたが、その後は大統領府の所有となっています。

●イスラム地区=Islamic Cairo=
イスラム地区は1000のミナレットの町と形容されるように多くのモスクが立ち並んでおり、現在でも中世の面影が残るカイロの下町です。アズハル通りの東エリアにあるハン・ハリーリ(Khan El-Khalili)は、かつては隊商宿(ハン)が集積していましたが、14世紀後半の改装・修復工事によって現在のような姿となりました。迷路のような小道の両側に多彩なお店がびっしりと並んでおり、14世紀には中東最大の規模を誇っていましたが、今はその一部のみが残りバザールを形成しています。高台のシタデル地区では、ムハンマド・アリ・モスクがあります。イスタンブールにあるブルーモスクを真似て1857年に完成しました。内部は広く大きなシャンデリアやステンドグラスなどで装飾されとても豪華です。ムハンマド・アリーのお墓も内部にあります。モスクの外からはカイロ市内が一望でき、天気のいい日には遠くにピラミッドを見る事ができます。

●オールドカイロ=Old Cairo=
オールドカイロ地区は、市街の南側にある「カイロ発祥の地」で、原始キリスト教会の流れを組むといわれるコプト教会が多くあります。7世紀には住民の多くがキリスト教徒(コプト)でした。現在100以上残っている教会は、4~5世紀に建てられたものと10世紀になって再建されたものがあり、巡礼などで多くのコプト教信者が訪れます。マル・ギルギス駅から見える聖ジョージア教会はほとんど地下に埋もれた格好で建っており内部は薄暗いです。聖ジョージア教会を通り過ぎるとエジプト最古のイスラム寺院ガーマ・アムルがあります。ガーマ・アムルの絨毯には一人一人の祈りのスペースが描かれており、矢印の先になるほうがメッカを指しています。


トップへ戻る

ギザ(Giza)

3大ピラミッド(全景)太陽の船 世界の七不思議で唯一現存する建造物が「ギザの大ピラミッド」です。ギザまではカイロ市内から車でおよそ30分(道が混んでいると1時間以上)、硬質の石灰岩の台地に3つのピラミッドは立っています。カフラー王のピラミッド前から伸びる参道の先にはライオンの身体と人間の顔を持つ「スフィンクス像」が鎮座しています。3つのピラミッドの中で最も大きいクフ王のピラミッドは建築当時146mありましたが、頂上部分が崩れ落ちて現在は137mです(本来の高さがわかるように頂上に鉄の棒がささっています)。ピラミッドには推定2.5トンの石灰岩のブロックが約230万個も使われ、完成までに23年の歳月を費やしたといわれています。ギザのピラミッド分布図ピラミッドには入り口が2つあり、現在入口として利用しているものは、皮肉にもかつて盗掘用として開けられた出入り口です。中に入り、上へと長い階段を登ると王の間(玄室)があります。そこは薄暗く石棺(と思われる)がひとつ置いてあるだけの殺風景な部屋で、ミイラや宝物などなにひとつとして発見されておらず、置かれた形跡すらないのがまた謎を呼んでいます。クフ王のピラミッドの南側には、世界最古の木造船といわれる「太陽の船」を展示する博物館があります。1954年に1隻目が、1987年に2隻目が発見されました。死後ファラオの魂が太陽神ラーとともに天空を往来するために造られたとされていますが、本当の目的は定かではありません。

●クフ王のピラミッド(王位:B.C.2589~2566頃)
高さ:146m、底面:230m×230m、積み上げた石:約580万t、角度:51.5度
●カフラー王のピラミッド(建造:B.C.2530年頃)
高さ:143m、底面:215m×215m、積み上げた石:約490万t、角度:58.5度
●メンカウラー王のピラミッド(王位:B.C.2532~2503頃)
高さ:65m、底面:105m×105m、積み上げた石:約53万t、角度:51.2度

スフィンクスの謎
スフィンクスの建造年代をカフラー王の時代(紀元前2500年頃)とする説は疑わしく、ギザのピラミッドが建造された年代よりもはるかに古いとされています(一説では氷河期の終わり頃で紀元前1万年、またはそれ以上前)。カフラー王のものとする理由にはいくつかあり、スフィンクスの前足の間にある「夢の碑文」の中に「Khaf」という文字があることや、顔がカフラー王に似ている?、カフラー王のピラミッドの葬祭殿から河岸神殿に延びる参道がスフィンクスの方向に向かっているなどで、見た目によるささいな理由でこじつけに近く、科学的な確たる証拠はまだ見つかっていません。
夢の碑文
新王国時代第18王朝のトトメス4世がまだ王子だった頃、夢の中でホルエムアケト神(=スフィンクス)から「砂に埋もれた私を掘り出せば、汝を王にする」というお告げがあり、それを実行してファラオになったというエピソードが書かれています。


トップへ戻る

カイロ郊外

カイロピラミッド分布図●ピラミッド
ピラミッド建造のはじまりは、紀元前27世紀、古王国時代の第3王朝の頃で、サッカラに建てられた「ジェセル王(Djoser)の階段ピラミッド」からだというのが通説です。現在確認されているピラミッドは北のアブ・ロアシュ(Abu Rawash)から南のラフーン(Lahun)まで、全部で大小合わせて108あり、ほとんどがナイル川の西側に造られています。この理由としては、西側は『あの世』であるという宗教観念があったということや、ナイル川が氾濫しても水が届かず地盤がしっかりしていたということが考えられます。またピラミッドが王の墓であるという説は、現在では否定される傾向にあります。その理由はいくつかあります。ピラミッドから王と判明する確たるミイラが発見されていないことや、ピラミッドとは別に王のミイラが埋葬された墓が発見されていること、また1人の王がいくつもピラミッドを建造した例などが挙げられます。第5王朝のサッカラのウナス王のピラミッドの内部には、「天への階段が王のために造られる。それによって天に昇るために」と刻まれたピラミッド・テキストがあり、王は死後天に昇り、太陽神ラーとともに天空を巡ると考えられています。 かつてピラミッドの建設事業は、ファラオの強権で民衆を強制的に働かせて作らせたという考え方が主流でしたが、発掘調査を重ねる中で、現在では公共事業としてナイル川の氾濫期に職がなくなる農民などへの失業対策だったのではないかとも言われ、報酬としてパンやビールなどの現物支給がされていたことから労働者は進んで働いたとの説が有力視されています。

●サッカラ=Saqqara=
ギザの南約10km、第3王朝のジェセル王の「階段ピラミッド」があります。このピラミッドは、B.C.2650年ごろ造られた世界最古のピラミッドといわれ、高さ約60m、基底部130m×110m6段の階段のようになっています。階段ピラミッドは単体ではなく、周辺の付属建造物とあわせてピラミッド複合体(ピラミッド・コンプレックス)を形成しています。北側に葬祭殿、東側に王宮、及びセド祭用の神殿、南側に「南墓」、西側に巨大な倉庫があり、この複合体全体を高さ10.4m、東西277m、南北545mの外壁が取り囲んでいます。外壁内の中庭の砂はギザのピラミッドの砂とは全く違い非常にさらさらしています。また、階段ピラミッドはシュメール出身の高級神官(宰相)イムホテプが設計したといわれており、近くには彼の名を冠した「イムホテプ博物館」があります。また、階段ピラミッドから少し離れたところには、聖牛アピスの墓といわれる不思議な地下墳墓「セラペウム」があります。

セラペウム(Serapeum)
サッカラのピラミッド複合体の少し外れ(ジェセル王の階段ピラミッドの北西約2km)にあります。広大な地下回廊になっており、聖牛アピスのお墓といわれています。石棺は約30個あり、あまりに巨大(長さ約4m/高さ約3m強)で固い花崗岩を精巧にカッティングして造られています。蓋だけでも約30トンもあり、完全密封されている点などおよそ牛の棺桶にしてはあまりに造りが完璧にできすぎているため、別の目的をもって造られたという説が有力です。

●メンフィス=Memphis=
ギザの南17km、サッカラよりナイル川寄りにあります。古代王国時代に初めての統一王国の首都として栄えました。メンフィス博物館には、足の1部分がかけている15mのラムセス2世の巨像が横たわっています。建物の中にあるので2階から見下ろし写真を撮ることができます。1階に下り間近でみることも可能です。外にはアラバスター製のスフィンクスがあります。このスフィンクスはギザのスフィンクスとは違い端正な顔立ちをしています。広場奥には、石棺やラムセス2世の立像などがあります。メンフィスは現在発掘途中です。

●ダハシュール=Dahshur=
クフ王の父スネフェル王の建造した「赤のピラミッド」と「屈折ピラミッド」の2つのピラミッドがあります。赤のピラミッドは、〈周りに何もない砂漠にポツリとある〉という日本人がもつピラミッドのイメージに一番近いピラミッドでしょう。赤のピラミッドは断面が二等辺三角形のピラミッドとしては最古のもので、石が赤っぽく見えることから名前が付きました。赤のピラミッドは中に入ることも可能ですが、かなり歩くので体力、閉所、臭いに耐えられる自信のある人のみが良いでしょう。屈折ピラミッドは赤のピラミッドから南へ2kmほど離れた場所にあります。高さ50mほどのところから角度が変わり52度から43度に斜度が緩くなっています。この理由は多々あるのですが、有名なのは王の死が近づいたからだと言われています。赤のピラミッドの角度も屈折ピラミッドの上部と同じ43度で作られています。

●メイドゥームとファイユーム=Meidum&Fayyum=
カイロから南に約100km。宿泊施設もない田舎の村の中に階段ピラミッドから四角錐の形に変わった最初のピラミッドがあります。建造したのはダハシュールにも2つのピラミッドを造ったスネフェル王だと言われています。現在は崩れ台形のような形になっていますが、ピラミッドの下の部分に真正ピラミッドであったことがわかる石積みが残っています。カイロ博物館に展示されている夫婦坐像もメイドゥームのマスタバ墳から発見されました。(マスタバとは・・・古代エジプトで建設された長方形の大墓)カイロから車で1時間半ほど、ピラミッド群の南端にある田舎町ファイユームの郊外には、灌漑事業を進めた二人の王ハワーラとラフーンのピラミッドがあります。これらは、カイロ郊外にあるピラミッドの一番南に位置しています。


トップへ戻る

ルクソール(Luxor)

カイロから空路で約1時間、距離にしてカイロの南670kmの所にあります。かつてはテーベと呼ばれ首都として栄えました。ルクソールは主にナイル川を中心線に西側と東側とにエリア分けされており、空港や大方のホテルは東岸にあります。東岸は太陽が昇るところとして「生者の町」、西岸は太陽が沈むところとして「死者の町」とされていました。故にカルナック神殿やルクソール神殿は東岸に建立され、王家の谷、王妃の谷、貴族の墓など死を弔う場所は西岸に建造されています。

~ナイル川東岸~
東岸は鉄道駅やホテルなどがあり旅の拠点になります。

●ルクソール神殿=Luxor Temple=
ルクソール神殿はカルナック神殿の中心を形成する「アメン大神殿」の付属神殿として、第18王朝のアメンホテプ3世によって中心部分が建立され、その後に第19王朝のラムセス2世が現存する大部分の神殿を造り上げました。アメン大神殿とルクソール神殿とは約3kmの「スフィンクスの参道」でつながっていました。この参道はアメン神がルクソール神殿を訪れるという年1回のオペトの大祭のために造られたもので、現在も発掘作業中です。神殿入口となる第1塔門は、幅65m、高さ24mの堂々たる様相で、その前には1本のオベリスク(高さ25m)、2体のラムセス2世の座像があります。オベリスクは左右に2本ありましたが、右側の1本は1830年代にフランスに寄贈され、現在パリのコンコルド広場にあります。第1塔門を過ぎるとラムセス2世の中庭、第2塔門を過ぎると大列柱廊、続いてアメンホテプ3世の中庭、最後にアレキサンダー大王の間(奥に至聖所)となります。

●カルナック神殿=Temple of Karnak=
カルナック神殿は広大な敷地をもつ神殿複合体で、「アメン大神殿」を中心に南の「ムート神殿」、北の「モンチュ神殿」などから形成されています。その大きさは東西約500m、南北1500mもあり、現存するエジプトの神殿の中では最大規模を誇っています。第1塔門から東西の中心軸を進むと、第2塔門と第3塔門の間に有名な「大列柱室」があります。第3塔門から南側に向けて、アメン大神殿の主軸線とほとんど直角にもう1本の南北軸が、第7塔門から第10塔門にわたって延びており、その軸線はさらに南のムート神殿に向かっています。大列柱室は、幅102m、奥行き53mの中に134本もの柱が立っており、中央沿いの12本の柱は高さ23mもあり、ほかの柱より高く(他は15m程度)、花が咲く様子を表したと言われています。大列柱室を抜けるとトトメス1世のオベリスク、娘のハトシェプスト女王のオベリスクがあります。ここにあるハトシェプスト女王のオベリスクは高さ約27mあり、エジプトで最大のものです。ラムセス2世の中庭にあるトトメス3世の祝祭殿の壁には、6世紀頃にキリスト教会(コプト教の礼拝堂)として再利用された時代の装飾(聖人の絵やコプト語の碑文)が今も残っています。神殿の東側には聖なる池があり、儀式などの時に使われていたといわれています。聖なる池の前には巨大なスカラベ像があり、この周りを7週すると願いが叶うと言われ旅行客に大変人気です。

~ナイル川西岸~
東岸から西岸へは船や橋で結ばれています。

●王家の谷=Valley of the Kings=
トトメス1世以降の新王国時代の歴代の王たちが造った王の墓で、盗掘を避けるために岩窟墓となっています。下降通路から前室、そして棺がある玄室という構造が一般的で、壁面には再生復活を果たすための宗教文書と挿画が施されています。王墓は発見順で番号が振られ、現在KV1~KV64まであります(KV=Kings Valley)。長い歴史の中で王家の谷にある墓の多くは盗掘を受けましたが、1922年に発掘されたツタンカーメン王の墓(KV62)は唯一未盗掘で、副葬品の財宝が完全な形で発見されました。

ラムセス6世王墓(KV9)
第20王朝のラムセス5世(兄)が着工し、その後ラムセス6世(弟)が完成させ、自らの墓としたこの王墓は、直線的な構造でとにかく規模が大きく、第1の下降通路から前室、角柱室を通り、第2の下降通路を抜けて前室、玄室に至ります。壁画の保存状態がよく、とくに玄室の天井に描かれたヌト女神と昼の書、夜の書は必見です。
★王墓内の様子をご覧いただける関連サイト

●ハトシェプスト女王葬祭殿=Deir el Bahri=
第18王朝の女王ハトシェプストの葬祭殿。3段のテラス式で数ある葬祭殿の中でも最も美しく、紀元前1500年頃に建てられたとは思えないような遠近法により計算された造りになっています。この葬祭殿は、王家の谷の東側にある断崖を背に建てられており、1~3階までは長い坂道で繋がっています。2階のテラスには当時熱心だったプント国との交易を描いたレリーフなども残されています。ハトシェプストの姿を描いたレリーフは、王位を継承した義理の息子トトメス3世によって無残にも削り取られています。現在もその削られた跡を見ることができます。トトメス3世がハトシェプストの壁画を削った理由は、「恨みによるもの」なのか、「女王の前例を残さないよう、即位した事実を抹消する為」なのか、諸説ありますが真偽のほどは定かではありません。

●メムノンの巨像=Clossi of Memnon=
西側エリアに入ってすぐ目に入る2体の巨像は、第18王朝のアメンホテプ3世の座像です。もとは背後に同王の葬祭殿が控えていましたが、第19王朝のメルエンプタハ王が自身の葬祭殿建設のための石材調達のために破壊してしまいました。向かって右側の像には、こんな逸話があります。紀元前27年に起きた地震によって像にヒビが入り、夜明けになるとうめき声や口笛のような音を発していたことから”像が歌う”と噂になり、メムノンの巨像の声を聴こうと詰めかける人々で観光地化したそうです。なおその中には第14代ローマ皇帝ハドリアヌス帝もいたそうですが、後年、像も修復され夜明けの音は聞かれなくなったといわれています。



トップへ戻る

デンデラ(Dendera)

●ハトホル神殿=Temple of Hathor=
ハトホル神殿ハトホル神殿 ルクソールの北60kmほどにあり、日帰りでも訪問が可能です。デンデラは複数の神殿の複合体で、エジプト中王国時代以降、約2000年にわたって増改築が繰り返されたとみられています。
この神殿はグレコローマン様式で建てられ、牛の頭を持った愛の神ハトホル女神に捧げられた神殿です。もとは、イシス神殿、ホルス神殿、ハトホル神殿とありましたが、現在残っているのはこのハトホル神殿のみとなり、エジプトに数ある遺跡の中でも最も保存状態の良い神殿のひとつとなっています。この神殿の外壁南側には、数少ないクレオパトラ7世のレリーフとカエサル、息子のカエサリオンのレリーフがあります。また、ハトホル神殿の石造りの部屋に入ると、地下へ通じる穴があり、狭い階段を下りると、幅約1メートルの狭い通路に出ます。大人1人がようやく通れる程度の空間には、ランプで周囲を照らしているような構図で、大きな電球を抱えているような不思議なレリーフがあります。紀元前1世紀ごろに彫られたとみられ、「古代の照明電球」との説を唱える学者もいます。神殿の保存状態が良好で、地下室がススで汚れていないのは、火などを使わずに電気を使っていた証拠だという、なんとも不思議なレリーフがあるので一見の価値ありです。


アビドス(Abydos)

ルクソールから車で約2時間、アビドスへはルクソールから警護車を伴う必要があるため、同じ方向にあるデンデラと抱き合わせて観光するプログラムに参加することをお勧めします。

●セティ1世葬祭殿=Temple of Seti=
セティ1世葬祭殿オシレイオンセティ1世葬祭殿 アビドス神殿は第19王朝のセティ1世が建造し、息子のラムセス2世が完成させました。葬祭殿の奥には7つの至聖所があり、美しく彩色された壁画が残っています。至聖所の6つの部屋には、アムン神、オシリス神、イシス女神、ホルス神、ラー・ホルアクティ神、プタハ神にセティ1世がお供物を渡している壁画が残されており、7つ目の部屋には、セティ1世自身が神として描かれています。裏手にあるオシリス神の墓所といわれる「オシレイオン(Osireion)」へ向かう通路には、第1王朝からセティ1世までの歴代王名が書かれた『アビドス王名表』があります。この王名表には、古代エジプト唯一の女性のファラオだったハトシェプスト女王やアテン神を信仰したアクエンアテン(アメンホテプ4世)やツタンカーメンの名前は残されていません(意図的に外されています)。
※アビドス神殿には「フラワー・オブ・ライフ(円を重ねた幾何学図形で生命のサイクルを象徴)」やデンデラのハトホル神殿にあるような不思議なレリーフ(戦車やジェット機、潜水艦などの近代兵器のようなレリーフ)などもあり、興味が尽きません。
★フラワーオブライフ関連サイト

オンム・セティ(Omm Sety)
日本でも有名なエジプト学の権威ザヒ・ハワスも一目を置いたエジプト考古学者オンム・セティ(本名:ドロシー・イーディー/英国人で1981年死去・享年77歳)は、今から3000年前、アビドス神殿の女神官であり、セティ1世の禁断の恋人として、前世を生きた転生者と言われています。前世の記憶から導き出される古代エジプトの謎解きや新発見、卓越した古代エジプト語力(ヒエログリフやコプト語)と類まれなるエジプト美術の知識など、エジプト学者の間でも大いに話題となり、転生者の記憶はオカルト的な空想の域を超えて、現在も彼女の発したメッセージの解明に向けて注目され続けています。


テル・エル・アマルナと近郊

●アマルナ遺跡=Tel el-Amarna=
古代エジプトにおいて唯一の一神教時代です。第18王朝アメンホテプ4世は宗教改革を行ないテーベから都をアマルナに移しました。こうした背景は、神官たちが力をつけ王権さえ脅かすようになったためでそれらを変えようと多神教から一神教にし、さらに都をテーベから移したのだといわれています。アメンホテプ4世はアテン神を信仰し自らの名前もアクエンアテンとしました。しかし、アクエンアテンは32歳の若さで死んでしまい次の王位トゥトアンクアムン(ツタンカーメン)により都がテーベに戻ったので、アマルナは約15年ほどの短さで終わってしまいました。さらに一神教をよく思っていなかった神官たちに遺跡はほとんど壊されてしまいます。王妃はエジプトの3大美女ネフェリティティです。ツタンカーメンは2人息子ではなく娘むこだったと言われています。 アマルナ時代は今までになかったありのままを描くアマルナ芸術の発展に力をそそぎました。中でもネフェリティティの胸像は有名です。(現在はベルリン博物館にあります。)アクエンアテンは痩せた顔にぽっこり出たお腹の姿で作品が残されています。 アマルナを観光するときはミニヤという町を拠点とします。アマルナの近郊には日常生活が描かれた39の岩窟墳墓があるベニ・ハッサンや、イエスが赤ん坊の時に訪れたという伝説があるアシュートなどがあります。


エドフ

●ホルス神殿=Temple of Horus=
ホルス神殿ルクソールとアスワンのちょうど中間ほど(ルクソールの南約108km、アスワンの北約123km)に位置するエドフにあります。天空の神ホルス神を祀った神殿で、2000年前に200年の歳月をかけて作られました。エドフはグレコローマン時代、上エジプトの首都で、神殿は長い間砂に埋まっていたので、ほぼ完全な形で残っています。正面の塔門は高さ36m、横幅79mあります。第二塔門の前には2mほどの大きさのホルス像があります。さらに進み列柱室を過ぎると薄暗い至聖所があります。ここで天井を見上げると真っ黒になっているのが分かります。実はキリスト教(コプト教)の時代に台所として使われていたためです。至聖所にはレバノン杉で作った聖船が残っています。この神殿には隙間なくレリーフが掘られ、母であるイシス女神の乳をのむホルス神のレリーフ、叔父であるセト神と戦うレリーフなどがあります。


コム・オンボ

●コムオンボ神殿=Temple of Kom Ombo=
コムオンボ神殿エドフより南、アスワンの北45kmにあります。 町のはずれナイル川に突き出た丘の上に、ホルス神と蛇の神ソベク神を祀ったコム・オンボ神殿があります。この神殿は2人の神のために作られた神殿なので2重構造の神殿になっています。プトレマイオス朝時代に建てられ、ローマ皇帝アウグストゥスの時代に完成しました。ここのレリーフは特徴的なものが多く、最古のカレンダーのレリーフや出産のレリーフ、外科の医療器具などのレリーフなどがあります。天井の彩色もまだ残っています。遺跡の外にはナイル川の水量を測るために使っていたナイロメーターがあります。


アスワン(Aswan)

カイロの南約900km、ナイル川の東側に位置します。ここには、ヌビア人と呼ばれる色黒い人が多くすんでいます。ナイル川沿いにメインロードがあり、そこから豪華客船やファルーカ(帆船)を見ることができます。カイロとは全く違い静かで自然に囲まれゆったりと時間が流れています。

●イシス(フィラエ)神殿=Temple of Isis,Philae
古代エジプトでは聖なる島と呼ばれ、神話ではオシリス神の島でありイシス神がホルス神を産んだ島だと言われています。そのため神殿内のレリーフもイシス神とホルス神のものが多く見られます。神殿は、キリスト教会として使われていた時代もあり異教とされレリーフが削られたり、碑の破壊が多発しました。もともと神殿があったフィラエ島はナイル川の真珠と呼ばれていましたが、アスワンダムの建設により水没してしまう運命にありました。しかし、ユネスコの協力(移転費はケネディ大統領が払ったといわれている)により、1980年隣にあったアギルキア島に移転されました。このとき、島の形も似せるために島を切り出しフィラエ島と同じ形にしました。現在はこの島がフィラエ島と呼ばれています。

●きりかけのオベリスク=The Unfinished Oberisk=
アスワンには神殿で見られるオベリスクを切り出していた石切り場などがあります。きりかけの途中にヒビが入り放置されたと考える切りかけのオベリスクは18~19王朝のもので、高さ40m重さは推定1170tあるといわれています。このオベリスクは完成していたらエジプト1大きなオベリスクになっていました。

●アスワン・ハイダム=Aswan High Dam=
1970年にソ連とドイツの援助をうけて完成しました。もとは、アスワンダムというダムがあったのですが力不足のため、さらに上流に大きなダムを作ったのがこのダムです。完成に伴い、全長500kmにも及ぶ人造湖ナセル湖を生み出しました。ハイダムの建設によりナイル川の氾濫がなくなり、安定した電力の供給が受けられるようになりました。しかし、それと引き換えに45の村や多くの遺跡が水底に沈みました。遺跡のいくつかはユネスコの支援などもあり水没せずに移動しました。


アブシンベル(Abu Simbel)

●アブシンベル大神殿=The Great Temple of Abu Simbel=
アブシンベル大神殿アスワンの南280kmに位置するエジプト最南端の見どころ。アスワンダム建設のため湖のそこに沈んでしまう運命にあったためユネスコの協力のもと1964年~1968年にかけてブロックにわけ切り出しもとの位置より60m上にそっくりそのまま移動しました。アブ・シンベルに行くにはアスワンからコンボイになりで行けるほか、飛行機になります。コンボイだと早朝と昼に1回ずつ、飛行機だとアブ・シンベルに付いた3時間後に再び元の場所に向けて飛び立ちます。アブ・シンベル大神殿は、自己顕示欲が強かったラムセス2世により作られた神殿で正面には高さ20mのラムセス2世の像が4体もいます。神殿事態の大きさは高さ33m奥行き63mもあります。大列中室のレリーフにはヒッタイトとの〈カディシュの戦い〉を描いたレリーフがあります。中でも戦車に乗り弓を引くラムセス2世のレリーフは有名です。また、史上最古の講和条約ヒッタイトとの協定内容が記されたヒエログリフのレリーフも必見です。至聖所には4体の神像がありその中の1つは神聖化されたラムセス2世。1年に2回、春分の日と秋分の日は至聖所まで日が入り4体のうち3対を順に照らします。闇の神であるプタハ神は照らされず、ラムセス2世の像が一番長く日が当たります。大神殿の横にある小神殿は王妃であるネフェリタリのために作られたハトホル神を祭る神殿で正面には4体のラムセス2世の立像と2対のネフェリタリの立像が並んでいます。列中室にはハトホル神のレリーフが彫られた柱などがあります。 アブ・シンベルで行なわれる音と光のショーは、ライトアップのみでなくプロジェクターを使い岩山をスクリーンに見立て神殿の歴史やラムセス2世の冶世の物語が進んでいきます。ショーも迫力がありすごいのですがこのときに見られる星もすごくきれいにみることができます。


タニス(Tanis)

●タニス遺跡=Tanis=
タニス遺跡タニス遺跡は、カイロから車で約3時間、現在のサンエルハガルにあります。エジプト第20王朝末期に建設され、続くエジプト第21王朝では上エジプトの首都となり、在位期間が最も長いプスセンネス1世(46年間)の頃に繁栄しました。アメン神に捧げられた大神殿などの多くの神殿と第3中間期の王家のネクロポリスの遺跡があります。エジプト考古学界では長い間ここが伝説のピラメセス(ラムセス2世の幻の都)だと考えられていましたが、第21王朝と第22王朝のファラオの未盗掘の墓が次々と発見されたことでここが間違いなくタニスであることが判明しました。タニスの様々な神殿建設にはラムセス朝時代の都ピラメセスの建材が大量に使われたことが初期の誤解の原因といわれています。


アレキサンドリア(Alexandria)

アレキサンドリア(カイトベイ)カイロに次ぐエジプト第二の都市で、カイロからは車で3時間半程度、空路で45分ほどの地中海に面した港町です。地中海性気候のため、エジプトの他地域より夏の暑さは和らぎ、冬にはみぞれが降ることもあります。 アレキサンドリアはアレクサンドロス大王により建設された街で王の死後に首都が置かれ、アレキサンドリアは地中海文化の中心地として全盛期を迎えました。紀元前30年にアクティウムの海戦に敗れ、クレオパトラ7世が自殺して以降はローマに征服され、7世紀にはアラブの侵入を受け、19世紀の近代化が始まるまでは廃墟の多い港街として時が過ぎました。そんなアレキサンドリアが復権したのは、ムハンマド・アリ朝の時代(1805年~)になってからで、西洋化の波が押し寄せてきたことで、街の中にはどこかしらヨーロッパの色彩を感じます。ここでは、市民の足に路面電車が使われています。

●カイトベイ要塞(Qaitbay)
世界の七不思議のひとつ「ファロスの灯台」跡にたてられた要塞。ファロスの灯台とは、高さ120mで、50km以上先からもその光が確認できたと言われています。建造は紀元前3世紀頃で、アレキサンダー大王が考え、プトレマイオス2世が建設したと言われています。しかし14世紀に起きた地震により崩壊してしまいました。そして15世紀後半にスルタン・アシュラワ・カイトベイにより、この石を使って現在の要塞になりました。要塞は三重構造の堅固な造りになっており、現在は海軍博物館になっています。休日などは多くの人で賑わっています。

●コム・エル・シュカファのカタコンベ(Catacomb of Kom al-Shuqafa)
1900年代偶然にロバが穴に落ち発見されたエジプト最大の共同墳墓です。地下3階まであり、古代エジプトと古代ローマの建築様式が取り入れられています。入り口にはメデューサのレリーフがありますが、奥の部屋にはアヌビス神の壁画などもあり珍しい墳墓です。1~2世紀は貴族階級の墓でしたが、3世紀に入ると一般の共同墓地に変わりました。そのため多くの穴があります。99段のらせん階段を下りると墳墓の中は迷路のように入り組んでいます。1つの部屋には馬の骨があります。墳墓内の写真撮影は禁止です。

●ポンペイの柱(Pompey’s Pillar)
町の小高い丘の上に建つ、柱で高さは27m、周囲は8mもあります。柱と一緒にスフィンクスも2体あります。このポンペイの柱にはいろいろな逸話があります。中でも知られているのがローマ皇帝ディオクレティアヌスが建てた図書館の柱の1本だという話です。建設当時はこのような柱が400本建っていたといいます。丘の下の周りには折れてしまった柱の跡もあります。


トップへ戻る

シナイ半島(聖カトリーナ修道院)

アレキサンドリア(カイトベイ)シナイ半島は、エジプトの国土8%にあたり大半が砂漠地帯です。1年を通してマリンスポーツを楽しむことができ海沿いでは、高級リゾート化が進められています。特にラス・モハンマド国立公園やナブク国立公園はダイビングスポットとして有名です。主にヨーロッパからのバカンス目当ての人が多いです。

●シナイ山と聖カトリーナ修道院(Mt.Shinai&St.Katherine’s Monastery)
モーゼが十戒を授けられたとされる山。標高2285mあり上るには3750段の厳しい階段を上るかラクダにのり途中まで行きそこから800段の階段を上るかの二通りがある。少なくとも往復で4時間ほどかかります。さらに冬になると雪が降るほど他の地域よりも寒いのでしっかりした防寒具が必要です。シナイ山に登る途中の分かれ道の先に修道院はあります。修道院はいびつな4角形をしており何回か修復されています。


西部砂漠オアシス(Western Desert & Oases)

エジプトは国土の90%が砂漠。砂漠を3つの地域ごとわけるとナイル川の西側を西方砂漠、東側を東方砂漠、シナイ半島のシナイ砂漠にわけることができます。3地域の中でも乾燥した地域とされ世界でも最も降水量が少ない西方砂漠。時には20年以上雨が降らないということもあります。そんな西方砂漠にも、4箇所のオアシスがあります。オアシスは砂漠内の海抜0m以下の窪地に地下水がたまり人々が集まりできます。砂漠ですが動物も多く生息し農業も営まれています。特にナツメヤシは古代から採れた作物の1つで現在は輸出も行なっています。

●バハレイヤ・オアシス(Bahariyya Oasis) 白砂漠
カイロから約4~5時間ほどの距離にあるオアシス。第18王朝から歴史に名が残り繁栄したのは第26王朝。後にアレキサンダー大王も訪れ神殿を造りました。保存状態などはあまりよくありませんが、エジプトで唯一アレキサンダー大王のカルトゥーシュが黒砂漠発見されました。1999年には100体を超えるミイラの発見があり、この地域にはほかにも1万体近いミイラが埋まっているのではないかと言われています。 近郊には、黒砂漠と呼ばれる三角形の黒い小山が続くエリアがあります。この黒い小山は玄武岩によるものです。中にはギザの3大ピラミッドに似たものもあります。 さらに進むとクリスタル・マウンテンと言われる水晶のような岩が広がるエリアがあります。ここの岩は、太陽光により岩がキラキラして見えます。すべて天然石です。(※ここの石は持ち出し禁止です。) そしてさらに進むと西方砂漠1番の見どころ白砂漠に着きます。ここは変化に富んだ奇岩が無数に点在するエリアです。これらは、石灰岩が長い年月をかけて風化し現在の奇妙な形になりました。大きいものでは高さ5mほどのものもあります。夕暮れ時は、夕日が当たり幻想的な風景が広がり、夜になると驚くほどたくさんの星がきれいに見られます。

●ファラフラ・オアシス(Farafra Oasis)
白砂漠からすぐ近くにあるオアシス。古代よりリビアからエジプトを守る重要な軍事拠点でした。芸術家バドル氏の私設博物館があり、オアシスの村に住む住民を素焼きの人形や砂漠の砂を使った砂絵で表現した、素朴な村の暮らしを描いた絵画が展示されています。

●ダフラ・オアシス(Dakhla Oasis)
アラビア語で『真ん中』を意味するエジプト第2の人口がいるオアシスです。町の中心は古代エジプト、アモン神の妻の名前がつけられておりムートと呼ばれています。ムートが中心になる前は、35km離れたカスルという町が中心地でした。カスルは迷路のように路地が入り組んでいます。ミナレットの上からはカスルを一望することができます。

●ハルガ・オアシス(Kharga Oasis)
西方砂漠最大の町。10km離れた場所にある【ハガワートの死者の町】は2~7世紀までのキリスト教徒(コプト教徒)の共同墓地遺跡で墓の中には、アダムとイヴ、ノアの箱舟、モーゼの出エジプトなど聖書のシーンが鮮やかに描かれています。



トップへ戻る

■エジプトの基本情報

■エジプトってどんなとこ?

エジプトは、アフリカの北東部、ナイル川中・下流域に位置する国で、首都はカイロです。
エジプトは、世界4大文明の発祥地のひとつで、紀元前3000年頃国家が形成され、ファラオが統治する国となり、神々をあがめる宗教や、学問の普及、ピラミッドや神殿の巨大建造物建設など、高度な古代文明が生まれました。紀元前30年頃ファラオの時代が終わり、ローマ帝国の支配を受け、キリスト教も伝来。641年にエジプトを征服したアラブの植民地となり、エジプトのイスラーム化が始まりました。これまでキリスト教の信者だった人々は、イスラームに改宗し、カイロはイスラームの中心地として発展。そのアラブ王朝も衰退すると、オスマン=トルコ、英国に支配されましたが、1952年にナセルの率いる自由将校団によるエジプト革命が起こり、約2300年ぶりにエジプト人による国家が復活しました。1869年に開通したスエズ運河も1956年に国有化し、4次に亘る中東戦争の後、1997年にイスラエルと平和条約を締結し、アラブ世界の盟主的存在となり、中東和平の一役を担っています。
国土の90%以上が砂漠のエジプトは、地中海沿岸や紅海などにリゾートがあり、世界遺産に登録されたピラミッドや、神殿群、墓地遺跡、イスラームの壮麗なモスクなどが残され、訪れる観光者は毎年400万人を超えています。

■エジプトの気候は?

日差しは強く暑いのですが、乾燥しているため40℃近く上がる夏場でも日陰に入り風に当たると心地よく過ごせます。季節は、酷暑の5~10月と温暖な冬11~4月に分けられます。気候は大きく分けて4つあり、ナイル川河口に広がるデルタ地帯の地中海性気候。カイロ周辺の半乾燥気候と半砂漠気候、カイロ以南の砂漠気候に分けられます。地中海地方以外は雨が少ないのですが、アレキサンドリアを始め地中海地方には冬期に雨が降ることがあります。3~5月はハムシーンと呼ばれる砂嵐が吹くこともあります。。

■エジプトでの服装は?

基本的に夏服ですが、直射日光が強いので日本のように半そでなどで出歩くと肌が痛いほどやけてしまうことがあります。また、列車やバス、ホテルなども冷房がききすぎることがあるので、着脱しやすい薄手のパーカーや長袖のシャツを1枚持って行くことをお勧めします。砂漠でキャンプをする場合などは朝夜と昼の温度差が激しいのでフリースなどが必要になります。靴などはホテル内や町を少し出歩くくらいならサンダルで良いのですが、砂漠や遺跡など観光する場合は歩くことが多いので履きなれた靴が良いでしょう。他には日差しよけのため帽子、サングラス、砂よけや首やけに役立つスカーフなど日焼け対策は必需品になります。砂嵐の時期にはマスクもあると役にたちます。ホテルでプールに入る場合は水着も必要です。イスラムの国ですので、素肌の出すぎる服装や体のラインが出すぎる服装は避けるようにするのが賢明です。男性のハーフパンツ、タンクトップなども注意が必要です。なるべくヒザ以上と、肩が見えないような服装が好ましいです。女性はヒザ以上、ひじ以上の服装が好ましいです。

■エジプトの習慣・マナーなど注意することは?

よからぬトラブル防止のためにも肌の露出した服や派手な振る舞いはしないことが賢明です。またイスラムの女性を撮影するときは事前に了解が必要です。お酒も観光ホテル以外ではなかなか手に入りません。 バクシーシと呼ばれるチップに似た習慣があります。これはイスラム教の喜捨(お金に余裕のある人がお金に困っている人にお金やものを与えること)がねじれた形でできたもので、持たぬものが積極的にせびるものです。チップはサービスに対する謝礼という感覚。ホテル以外のトイレを使う時には大体チップが必要になります。(1.LE)チップと引き換えにトイレットペーパーをもらいます。 飲料水は、ミネラルウォーターをお飲み下さい。

■持って行くと便利なもの?

日中は暑くたくさん汗もかくのでミネラルウォーターだけでもいいのですが、スポーツドリンクの粉末があると吸収もよく潤せます。オアシスに行く場合や、中級以下のホテルなどはありや蚊がでることがあるので、アリの巣ころりや、蚊取り線香があると使えます。車で長距離移動の場合(アスワン~アブシンベルなど)ゆれが大きいことがあるので、酔いにくい人でも酔い止めがあると良いでしょう。また車での長距離移動の際も飛行機などで使う枕があると便利です。小さいペンライトも、もしもの時のため音と、光のショーの帰り道などに使えます。。

トップへ戻る

エジプト・アラブ共和国
Arab Republic of Egypt

エジプトの国旗
政体: 立憲共和制
言語:アラビア語
住民:アラブ人(その他、少数のヌビア人、アルメニア人、ギリシャ人等)
宗教:イスラム教、キリスト教(コプト教)
面積:59万Km2(日本の約1.6倍)
人口:7,257万人
通貨:ポンド£E(アラビア語でギニー)
時差:マイナス7時間
エジプトツアー